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2007年5月5日の2件の記事

2007年5月 5日 (土)

三年山城 (삼년산성) ;韓国最大の古代山城

朝鮮は山城の国だ。古くは高句麗に始まって、百済、新羅にも広がり、三国時代に無数の山城が朝鮮全土に築かれた。三国時代から李氏朝鮮時代まで、約2,000年の歴史がある。そのうち現在残る遺跡がいくつあるかは、中国と北朝鮮の領域を含むので正確なところはたぶん把握されていないのではないかと思う。しかし、大韓民国に残る城郭跡だけで、2,137箇所(1995-1997年の調査)、その大半が山城であることを考えれば、総数はいったいいくつになるのか見当がつかない。

さてどこから手を付けるかだが、まずは日本の朝鮮式山城より古い時代(7世紀以前)のもので一番規模が大きい、忠清北道報恩郡の三年山城を訪ねた。三国時代の5世紀に新羅が百済との国境近くに作った最前線の城だ。築城に三年かかったことからこの名がついたという。標高350mの低い山の峰と谷を、全長1.74kmに渉って10mを越える石垣の城壁で囲んだもの。韓国に残る古代山城中、これが最大規模だ。

普通の観光コースだけでみると、韓国はあちこちからの侵略だの内戦だので、殆どの遺跡が破壊されて残ってないようにみえるが、探せばこんなのがちゃんとあるじゃないか、と驚かされた。

2006年10月3日踏査

三年山城西門前の案内板。 

1annnai_3  2westwall_2

西側の復元された城壁を南側から見下ろしたアングル。

 

3southwall_1   南側の城壁外側。急斜面に築かれている。

4southwall_broken_1

南城壁の内壁。一部崩落して、内部にも石をつめている構造が見える。

5southwallbroken2_2 南城壁の内壁

6eastwall_1 

東門跡から見た東壁。この下の方に排水口がある筈だが、草木がびっしり生い茂っている上に急斜面で危なく、近付けなかった。軽く10mを越える高石垣だ。

7northeastchi_1 北東の小高い丘陵を利用した雉城と呼ばれる、城壁の突出部。東壁から北壁に曲がるところに位置する。

8northinside_1 北壁の城内側。

三国時代の城跡で、これだけの高石垣が残るところは僅かしかない。

9northchi_1 北門と、北門前に作られた雉城。これは調査の結果、李朝時代に改築して作られた部分と分かった。

9northlong_1北壁を遠景で。外壁が崩れて斜面に広がっている。夥しい数の石だ。

10northtop_1

北壁は、中間あたりの北門が一番低い谷になっており、東から西に向かってずっと登って行った。西の高地から北壁を見下ろす。

11west1_1 北側から西門と西の復元城壁を見下ろした景色。半円形の雉城が二箇所突出している。城壁に張り付いて登ってくる敵を側面から攻撃するための張り出し部で、高句麗の城で最初に作られたという。しかし、こういう半円形のものは、他で見たことが無い。

12west2_1 一周して、西門に戻る。

イントロダクション~対馬 金田城

始まりは、学生時代に旅行した、対馬で巡り合った金田城。山中に、古色蒼然として半ば崩れた石垣の城壁や城門址、門柱の穴の開いた礎石などが残っていた。7世紀の朝鮮式山城だという。百済の滅亡に際して天智天皇は朝鮮に援軍を出したが、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗退。唐・新羅の報復に備え、亡命百済人の技術で西日本各地に山城を作ったという。これらを朝鮮式山城と呼んだりするが、その元祖の山城がどんなものだったのか、長年疑問に思っていた。

さて、それからxx年。韓国で暮らすようになったのを機会に、本家本元の古代朝鮮の山城がどんなものだったのか、知りたくなり、訪ねてみようと思った。

2007年6月10日追記;

▼実家に立ち寄ったついでに、対馬の写真を引っ張り出してきた。

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▲レンタカーで島中走り回っているうち、偶然ここにたどり着いた。城山の入り口。

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▲金田城はこちら、と矢印のある方向はこの写真の通り、誰も訪ねないせいだろう、草が鬱蒼と茂って道なき道となっていた。心配しつつ、草を掻き分けて進んで行くと、

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▲まるでジャングルのような山中の森の奥に、このような立派な石垣や門の跡にたどり着いた。マヤかインカの遺跡に来ているような錯覚に陥った。

この城門の形は、今改めて見てみると、新羅の城によく見られる懸門式の城門に見えないことも無い。城壁の石はまるで不定形で、ほぼ同時代と思われる百済や新羅の城の、よく整えた切石とは違う。積み方も朝鮮半島のものより荒っぽい感じがする。石材が加工しにくいものなのか、技術の差によるものなのか分からない。

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▲門址に下りて見ると、門柱の礎石を発見した。ここにどんな城門が構えられていたのか想像するだけでワクワクした。

1990年3月15日踏査

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