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2007年5月13日 (日)

漢城百済の痕跡-3 阿且山城 (아차산성)

カジノで有名な漢江沿いのウォーカー・ヒル・ホテルの裏山に、阿且山城(a-cha san-seong)はある。
三国時代に百済が対高句麗防衛の為に作ったのが最初であろうと推定され、その後高句麗、新羅と主人が代わっていったようだ。有名な高句麗の広開土王碑に、平らげた城の一つとして阿旦山城の名前を見ることが出来るが、それがこの阿且山城に比定されている。漢城百済が高句麗に攻め落とされた時、盖鹵王が捕まってこの城の下で殺されたといわれている。また、高句麗平原王の娘婿である温達将軍が新羅軍の矢に当たって戦死したとの伝説も残っており、三国が幾度も激戦を繰り広げた最前線だったようである。
 現在残る城壁はどの時代のものかまだ解明されていないもよう。調査が続いており、保護の為に城壁を柵で取り囲んで中に入れないようになっていて残念。城壁自体も森の中に埋もれていて、写真のように一部がちらりと垣間見えるだけである。とは言え山頂からの景色は中々のもので爽快。
ここからは漢江を南に挟んで、百済の旧都であろう夢村土城や風納土城を始め、周囲を遠くまで見渡すことができ、城塞として最適な場所だったことが分かる。他にもこの山脈沿いに高句麗の保塁址がいくつも点在していて、今後発掘と整備がさらに進むものと思われる。

2006年10月7日踏査

2006_1007_085549aa_800 案内板。城域の図と発掘調査で出てきた遺物の写真、阿且山城保存事業への理解を求める説明文が書いてある。

2006_1007_085835aa_800 僅かに垣間見える石垣のアップ。

2006_1007_091426aa_800 柵の外から西壁が見える。

2006_1007_091441aa_800 この城壁が見える範囲は数十mしかない。早く中を解放して欲しいものだ。

2006_1007_093414aa_800 城内には入れないので、すぐ隣の峰から見たソウル市内の展望。

写真をクリックすると大きく見られます。

2006_1007_100953aa_800_1 阿旦山第四保塁跡。阿旦山城を過ぎて、隣の峰に向かう途中にある。

高句麗が漢江流域を獲得したのは漢城百済を滅ぼした5世紀末から6世紀後半までの約80年間。その間に作った要塞跡が、この阿旦山一帯の連峰に点々と残っており、発掘調査が続いている。

2006_1007_101007aa_800 高句麗保塁の発掘調査の時の写真が見られる説明版がいくつも設置されている。現在はほとんど埋め戻されていて、見ることが出来ない。

2006_1007_101106aa_800 何と、オンドルの遺構もここで見付かっている。朝鮮では北国の高句麗がオンドルを使い始めたらしい。

2006_1007_101247aa_800

2006_1007_101405aa_800 門柱の礎石と思われる石が露出していた。

2006_1007_101604aa_800 山頂付近から漢江を望む。

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