三年山城 (삼년산성) ;韓国最大の古代山城
朝鮮は山城の国だ。古くは高句麗に始まって、百済、新羅にも広がり、三国時代に無数の山城が朝鮮全土に築かれた。三国時代から李氏朝鮮時代まで、約2,000年の歴史がある。そのうち現在残る遺跡がいくつあるかは、中国と北朝鮮の領域を含むので正確なところはたぶん把握されていないのではないかと思う。しかし、大韓民国に残る城郭跡だけで、2,137箇所(1995-1997年の調査)、その大半が山城であることを考えれば、総数はいったいいくつになるのか見当がつかない。
さてどこから手を付けるかだが、まずは日本の朝鮮式山城より古い時代(7世紀以前)のもので一番規模が大きい、忠清北道報恩郡の三年山城を訪ねた。三国時代の5世紀に新羅が百済との国境近くに作った最前線の城だ。築城に三年かかったことからこの名がついたという。標高350mの低い山の峰と谷を、全長1.74kmに渉って10mを越える石垣の城壁で囲んだもの。韓国に残る古代山城中、これが最大規模だ。
普通の観光コースだけでみると、韓国はあちこちからの侵略だの内戦だので、殆どの遺跡が破壊されて残ってないようにみえるが、探せばこんなのがちゃんとあるじゃないか、と驚かされた。
2006年10月3日踏査
三年山城西門前の案内板。
南城壁の内壁。一部崩落して、内部にも石をつめている構造が見える。
東門跡から見た東壁。この下の方に排水口がある筈だが、草木がびっしり生い茂っている上に急斜面で危なく、近付けなかった。軽く10mを越える高石垣だ。
北東の小高い丘陵を利用した雉城と呼ばれる、城壁の突出部。東壁から北壁に曲がるところに位置する。
三国時代の城跡で、これだけの高石垣が残るところは僅かしかない。
北門と、北門前に作られた雉城。これは調査の結果、李朝時代に改築して作られた部分と分かった。
北壁を遠景で。外壁が崩れて斜面に広がっている。夥しい数の石だ。
北壁は、中間あたりの北門が一番低い谷になっており、東から西に向かってずっと登って行った。西の高地から北壁を見下ろす。
北側から西門と西の復元城壁を見下ろした景色。半円形の雉城が二箇所突出している。城壁に張り付いて登ってくる敵を側面から攻撃するための張り出し部で、高句麗の城で最初に作られたという。しかし、こういう半円形のものは、他で見たことが無い。
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