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2007年7月1日の1件の記事

2007年7月 1日 (日)

忠州 薔薇山城 (장미산성)~漢城百済の痕跡-5

曇天、時々雨との予報にめげず、遠出をした。 韓国のへそ、忠清北道忠州市まで高速バスで二時間弱。南漢江沿いにあるいくつかの遺跡を見るのが目的。その中の目玉が薔薇山城だ。薔薇山にある山城だからそう呼ばれてるだけで昔の名前は分からない。忠州は南漢江沿いに位置し、古代から水路・陸路ともに発達した交通の要衝であったことから、三国が激しく争奪戦を繰り広げたであろうことが想像される。

2007年に出版された「最近発掘された百済遺跡」崔ビョンシク著 によれば、2004年の発掘で以下の点が明らかになった。

・5世紀以前の漢城時代の百済式土器が大量に出たが、高句麗や新羅の遺物はほとんど出ていない。

・城壁の内側に数箇所、戦闘時に投石用に使うにぎりコブシ大の石が集められていた。これは他の山城でも出土例がある。

・木柵用の柱穴列が、北側城壁の回折部で2列見付かった。城壁から外側に11mほどの長さで突出しており、柱穴の間隔は約185cn。木柵による雉城ではないかと推測されているが、石城と木柵雉城の組み合わせは高句麗と新羅では前例が無い。石城との年代前後関係がまだわかっていないが、百済では清原南城ゴル遺跡で発見された例があるとのこと。

この山城のすぐ近くで、有名な中原高句麗碑が見付かっていることから、当初この山城は高句麗の遺跡であると思われてきた。しかし2004年の発掘結果は、この城が百済の城であることを示している。漢城百済時代には石城の技術はなかったとの説がこれまでは常識であったが、近年の利川雪峰山城、利川雪城山城の発掘結果も薔薇山城と同じ様相を見せており、漢城百済時代の百済の経済力や建築技術の常識が書き換えられようとしている。考えてみれば、4世紀の百済は近肖古王の治世時に平壌まで攻め込んで、高句麗王を戦死させたほどの実力を持っていたのであり、その版図もこの時が最大であったようである。遺物は少ないが、漢城百済の実力をもっと大きく見るべきかもしれない。

それにしても凄い規模の山城だった。標高337m、決して高い山ではないが、険しいこと険しいこと。そしてその険しい山におびただしい数の石を積み上げて全長約3kmにも渉って築き上げられている。三国時代の山城は、外周1km以内のものが大半であることを考えれば、当時この城がいかに巨大であったかが想像できる。城壁の大半は崩れて、崖や急峻な斜面にその残骸が大量に散らばって苔むしているが、それにしてもとんでもない量の石だった。薄曇で今にも振り出しそうな空の下でますます鬼気迫る感じであった。 発掘調査で見付かった石造の排水路が、城壁の内側に長く廻らされていて珍しかった。かなり本格的な山城だ。こんな険しい山奥にこれだけ膨大な量の石を運び込んで3kmもの石造の城壁を巡らし、排水施設まで石造で完備していることからみても、この地の重要性が窺い知れる。 城壁は残存部でも、基底部だけ残って、上部が崩れているところが多い。城壁の内部は結構乱雑に石を積み上げて、外側を長方形の切石で綺麗に揃える作りのようだ。城壁が崩れかかったあちこちで、この石の結晶のような剥き出し部をたくさん見ることができた。

それにしても、こんなに険しい山なのだから、そこまで石を積み上げなくても天然の要塞なのにどうして、と考えさせられる。執拗で、何かに憑り付かれて徹底せずにはいられなかったかのような、築城主の意志を感じた。これ程の城を作らずにはいられない程の、三国の激しい争奪戦があったに違いない。こんなところを本気で攻め登って来る奴らの神経も、想像するだに恐ろしい。

2006年11月26日踏査

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▲薔薇山登山案内図。左端②が中原高句麗碑。こちらの登山口から登り始めたが30分ほどで道を見失い、断念。下山して中央下の登山口①▼から登り直した。

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▲登山案内板のすぐ近くにある登り口。冗談のように激しい傾斜。まさかこれではないだろうと通り過ぎて直進して違う山道を進んでしまった。ここでも小一時間のロスタイム。

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▲ひとしきり登ってまた間違えたかと不安になったころに案内表示が。まっすぐ行けば薔薇山。後ろは高句麗碑。もう一つの火薬庫?というのが何だか分からない。

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▲そして右に行くと池址とある。山城の貯水池跡だろう。

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▲かなり大きなクレーターのような丸い窪地があった。これが貯水池跡。

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▲この辺りから城壁の跡と思われる斜面に石が散らばっているのが見え始める。

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▲▼石塁の量が段々密集して多くなってくる。苔むしている。

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▲石塁が延々と続く。傾斜は段々ゆるやかになってくる。

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▲城内側の石積みが若干残っている部分。

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▲石築の排水路。2006_1126_110033aa_640

▲排水路は城壁に沿って長々と続いている。

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▲排水路というよりは斜面に沿って下の貯水池に水を集める集水路かもしれない。とにかく長い。

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▲頂上が近付いてきたあたりの見晴らしの良いところに墓があった。南漢江を見下ろす。山城も朝鮮の伝統的な墓も、どちらも見晴らしの良さが要件になっているので、山城めぐりをすると必ずいくつもの墓に出会う。

2006_1126_120251aa_640 ▲変わった墓碑だ。わざわざ朝鮮学生とあるのは植民地時代のものか?分からない・・・。

2006_1126_115108aa_640 ▲薔薇山頂上。標高336.9m。案内板に書いてある通り、麓から一時間近くかかった。距離は1.4kmだが、急傾斜が多いので、汗だくになって休み休み登った。

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▲薔薇山城案内板。1997年に史跡400号に指定された。「百済時期の遺物がたくさん発見されているが、このような山城の源流は高句麗系統に属するもので、中原高句麗碑と関連して高句麗勢力の南下に関連する大変重要な遺跡として評価されている。」この先の発掘調査で高句麗の遺物が出てくればそうも言えるだろうが、無理のある言い回しである。

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▲解説版は頂上付近に設置されている。北側の山を見晴らす。

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▲北側の城壁の回折部。ここから突出する二列の木柵柱穴が発掘されたと後で分かった。柱穴は埋め戻されていたので分からなかった。ここを右側に進んで回り込むと、上記の解説版の下の城壁に出ることができる。

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▲▼城壁に沿って進む途中で水口らしき部分を見つけたが、単に石が抜け落ちているだけのようにも見える。

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▲石積みが残るのは主に下段の基底部で、上部はほとんど崩壊している。

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▲城壁内部に詰め込んだ内込め石は不定形だが、石の結晶のようにびっしりと詰め込まれている。はらわたが剥き出しになってようで不気味だった。

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▲6~7mくらいの高さだろうか。崩壊した城壁に沿って元来た道を戻るようにさらに進む。

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▲城壁外側の下部にも排水路がめぐらされていた、と思ったのだが、これはもしかしたら韓国軍が作ったものかという気もしてきた。よく山中で軍が作った塹壕を見かけるが、これは塹壕には狭く浅すぎて、やはり排水路にしか見えない。2006_1126_113600aa_1024

▲もっとも城壁の残存状態が良い北西部の城壁が見えてきた。

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▲▼斜面に沿って延々と続く城壁。

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▲城壁基底部は、岩盤を削ったところに粘土を押し固め、そこに第一段の石が積まれているとのこと。初段の石は、半分以上粘土に埋まっている。初段だけが少し外に飛び出していて、二段目以降はほぼ垂直に積み上げている。

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▲大岩は削らずにそのままよけて石が積まれている。

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▲崩壊部分の接写。

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▲▼城壁に沿って大分降りてきた。山頂部を見上げる。

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▲そのまま斜面に沿って下山する。

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▲薔薇山を振り返る。トラックの見える辺りが登山口。

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▲中原高句麗碑近くのバス停。イプソク。立石、かな?忠州市内の北、車で15~20分ほどのところだ。

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▲忠州市バスターミナル。東ソウル・バスターミナルから頻繁にバスが出ている。

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