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2007年7月 7日 (土)

温達山城 (온달산성)~高句麗温達将軍伝説

忠清北道丹陽郡、温達山城を訪ねる。ソウルからバスで3時間弱。なんとか日帰りできる範囲だ。
温達というのは高句麗末期の将軍の名前。この将軍は昔話で有名だ。最初はダメ男の典型として馬鹿温達と呼ばれて有名だったが、どういう訳か高句麗王の姫である平岡公主の心を射止めて結婚。それからというもの、山内一豊の妻・千代のように、賢い彼女のお陰でどんどん出世して将軍になる、というお話。
この山城周辺には、その温達将軍や戦争にちなんだ地名がいくつか残っているが、山城自体はその築城法や立地条件などから新羅の城であろうと言われている。まぁ誰が作ったにしろ交通の要衝である南漢江を見渡せるところに位置しており、高句麗と新羅の間で争奪戦が繰り広げられた場所であることは間違い無いだろう。
 この城は写真の通り、きれいな楕円形をしている。標高427mの城山の頂上に築かれた周囲683mの小規模な山城であるが、独特な円形の城壁が見事だ。北壁に台形の排水口がきれいに残っている。新羅の城によく見られる形状である。城内では井戸跡や建物跡は見付かっていない。投石用の河石が集められていると聞いていたが、整理されたのか雪に埋もれているのか見付からなかった。城門は凹字型の懸門式でこれも新羅の城に多く見られる様式だ。
 山城の麓は「温達観光地」として観光整備されている。毎年一回、温達祭りなどのイベントがあるそうだ。ちょうどSBS放送の高句麗歴史大河ドラマ、「淵蓋蘇文」のオープンセットを建築中で、ドンガンドンガンうるさかった。セットは城門や宮殿や街を再現していて中々大規模。8割方完成しており少し見て回ったが、なぜかどの建物も中華風の作りだ。高句麗の建築物といえば城壁と古墳以外にはほとんど残っていないので古墳壁画などを参考に想像して作るしか無いのだが、よくありがちな李朝風のセットよりは古代の異国風ということで中華な雰囲気の方がそれっぽく見えるのかも知れない。

2006年12月23日踏査

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▲温達観光地案内図。石灰岩の洞窟や温達将軍にちなんだ資料館(補修工事中だった)などが整備されている。山城は図の右上にある。

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▲ドラマ淵蓋蘇文(高句麗末の宰相で唐との戦争に勝ったことで有名)のセットが工事中だった。

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▲温達将軍と平岡公主のマスコット・キャラクター

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▲建設中のセットの内部

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▲セットの門が山城の登山口に。

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▲朝霧が濃く、少し登っただけで下が見えなくなった。

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▲登山道の途中に作られた望楼から、山城が遠くに見えてきた。

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▲急斜面を20分程登ったところで解説版。史跡264号。

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▲林の中の斜面をさらに進んでいくと、北壁に行き当たる。

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▲復元された北門と、その左側の突出部である雉城。

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▲右端が雉城で、それに連なる北壁。修復された時期によって色が異なっているようだ。雉城の部分は近年復元されたらしい。左端に水口が写っている。

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▲北壁のほぼ中央部に、排水口が口を開けている。北壁の高さはおよそ7~8m程かと思う。

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▲水口のアップ。このような上部が狭まった台形の排水口は、新羅系の山城でよく見られる様式だ。城内の内壁には同じ形状の集水口があって、貫通していた筈だが、発掘調査の後、埋め戻されたようで見られなかった。

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▲▼北壁からつながる、楕円形の湾曲部分。

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▲▼石灰岩や砂岩を板状に平たく割った石で築かれている。

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▲湾曲部を回り込んで東壁に出る。

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▲東壁が山頂に向かう斜面に築かれている。

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▲東門。凹字型の懸門式だ。

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▲東門から城内に入る。

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▲湾曲部を城内から見てみる。

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▲雉城のある北壁を城内から見る。

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▲▼城郭解体補修70m、12月31日までと書いてあるが、早朝のせいか誰も作業していなかった。

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▲北壁に上がって、湾曲部と東門を見渡す。

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▲もう少し後ろに下がり、突出部である雉城の上から、城壁が写るようにして撮った。雉城は城壁に近付く敵を側面から弓矢などで攻撃する為に作られた構造。城壁撮影の一助にもなった。

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▲西側斜面を登りながら、湾曲部を遠景で撮った。

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▲霧が晴れてきて、南漢江がうっすらと見えてきた。

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▲北門から一旦城外に出て、西壁の崩壊部分を見る。

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▲崩壊部分のアップ。内部にもぎっしりと板石が詰まっている。

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▲西壁下の斜面に散乱する板石。

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▲城内に戻って斜面を上がりきると南側城壁に出る。

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▲南壁。近年復元されたように見える。

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▲同じ南壁だが古い城壁の部分。

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▲南門跡。急斜面で危険な為、城外に下りて外から城壁を写すのはあきらめた。こういう場所にわざわざ城門を設ける例が、三国時代の山城に多く見られるようだ。

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▲南門から見た山並み。丹陽は丹陽八景など、名勝地として有名である。

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▲▼山城の南側の高台から南漢江を望む。絶景である。

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▲霧もすっかり晴れ、下山する途中で建設中のセットがよく見えた。

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▲下山して城山を振り返る。稜線の中央あたりに温達山城の特徴的な楕円形の城壁が見えた。

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▲温達観光地のゲート。ここで何時来るのか分からない帰りのバスを、地元のお婆さん達と30分近く待った。

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