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2007年7月23日 (月)

大邱達城 (대구달성) ~三国時代初期の城郭

大邱広域市は、慶尚北道の中心になっている都市である。大邱達城は、市の中心部に残っている、三国時代の土城だ。 平地の丘陵地帯に版築で突き固めた土手が、1.3kmに渉って町をぐるりと囲んだ状態がよく残っている。

城壁の高さは4m程度と説明にはあったが、元々の丘陵地形をうまく利用しているせいで、場所によっては10mほどの高さに見えた。この城壁の内部は公園になっていて動物園や歴史資料館などがあり、家族連れが週末を楽しんでいた。
この地域は、三国時代に新羅に取り込まれたところであるが、もとは三韓時代の辰韓諸国の一つであったろうか。新羅の王京である慶州の月城も同様に平地の丘陵地を利用して作った土城で、三韓時代もしくは三国時代初期の韓半島南部城郭の典型であるかもしれない。このような土城が、ごく初期の朝鮮の城郭都市のようである。

2006年12月31日踏査

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▲史跡62号大邱達城解説版

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▲大邱達城の城壁上にある観風楼。李朝時代、1601年に慶尚監営の正門として作られた。1906年に大邱邑城を壊す際に、この場所に移築して保存した。老朽化のため、1970年に解体して1973年に復元したとのこと。

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▲城壁の上に散策路が設けられている。ところどころ石塁の跡のようなものが見られるが、これは高麗時代と李朝時代に、もとの土城の上に石築の城壁を築いた跡だという。

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▲城壁の上から下を見下ろすと、かなりの高さである。

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▲▼石垣の跡がもっともよく残る斜面。

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▲慶州月城の土城も、このように後代の石垣の跡らしきものが残っていた。

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▲城内にある小さな博物館に、出土した遺物が展示されている。青銅器時代から李朝時代まで、続けてこの城が利用され続けていたことがわかる。

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▲夕暮れの達城からみる大邱市内。大邱はかなり広い盆地状の平地で、この程度の低い丘陵からでも、遠くまで見晴らすことができる。

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▲城内から見た、大邱達城の城壁。

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