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2007年7月16日 (月)

堤川 德周山城 (덕주산성)

忠州市の南端にある水安堡温泉に一泊したついでに、近場の山城を探して訪ねた。
この温泉の辺りは、韓国の南北を結ぶ古街道の、峠の関を越えた北側に位置するが、今回訪ねた德周山城は、この古街道を守った山城である。新羅時代に最初に作られたと推定されているが、李朝時代まで増改築を重ねた結果、最終的には四重の城郭、全長9.8kmに渉る巨大な山城となった。城壁はかなり崩れているが所々修築して、今は南門、東門、北門が再現されている。
元軍が襲来した際、突然風雲乱れ、ひょうが降り注いだところ、神が守る地であると恐れをなして蒙古が逃げたという伝説が残る。
南門と東門付近を訪ねた。両方とも街道が通る谷間に作られている。北門は登山しないと行かれないとのことで、時間の関係もあって断念した。
山の稜線に沿って、ところどころ急峻な坂にも城壁の址が点在するのが遠くに見えた。この山城がある月岳山は国立公園として整備されており、秋には紅葉で美しく、登山客が多いらしい。

2006年12月30日踏査。

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▲復元された南門。四重の城郭の一番外郭だと思う。

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▲解説版。忠清北道記念物第35号。

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▲▼城門に続いて、城壁が山の斜面に沿って上っている。

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▲崩れた石垣がそのまま散乱している。

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▲南門付近の城壁は復元されて小ぎれいだが、少し上まで登ると古い城壁がそのまま残っている。

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▲復元された東門。南門同様、谷間にあたる場所の街道に設けられている。4重の城郭の内、どれにあたるのか分からない。

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▲▼この東門付近の城壁も、谷部から山上に向かって城壁が斜面を上っている。

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▲上の写真の城壁の裏側、城内。崩れた面を見ると、内部にもぎっしりと石が詰められているのが分かる。クリックして拡大して見ていただきたい。

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▲この城壁を登れる所まで登って見た。

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▲かなり修復されていて、どんどん上まで行けた。

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▲東門が大分小さくなってきた。この城壁を登っている人は他に誰もおらず、高度も高くなって段々不安感が増してくる。

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▲東門のある谷を挟んで反対側の急峻な山腹には、ところどころ修復されていない古い城壁を目にすることができた。

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▲下にタクシーも待たせてあり、そろそろ心細くなってきて降りることにした。

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▲下まで降りて、城内から東門を見る。川は凍っていた。

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▲もう一度登って来た城壁を振り返る。石垣の石の量に圧倒される。これもぜひクリックして拡大して見て欲しい。

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▲▼東門のもう片側はかなり険しい岩山だが、古い城壁が岩盤上にも築かれている。

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