堤川 德周山城 (덕주산성)
忠州市の南端にある水安堡温泉に一泊したついでに、近場の山城を探して訪ねた。
この温泉の辺りは、韓国の南北を結ぶ古街道の、峠の関を越えた北側に位置するが、今回訪ねた德周山城は、この古街道を守った山城である。新羅時代に最初に作られたと推定されているが、李朝時代まで増改築を重ねた結果、最終的には四重の城郭、全長9.8kmに渉る巨大な山城となった。城壁はかなり崩れているが所々修築して、今は南門、東門、北門が再現されている。
元軍が襲来した際、突然風雲乱れ、ひょうが降り注いだところ、神が守る地であると恐れをなして蒙古が逃げたという伝説が残る。
南門と東門付近を訪ねた。両方とも街道が通る谷間に作られている。北門は登山しないと行かれないとのことで、時間の関係もあって断念した。
山の稜線に沿って、ところどころ急峻な坂にも城壁の址が点在するのが遠くに見えた。この山城がある月岳山は国立公園として整備されており、秋には紅葉で美しく、登山客が多いらしい。
2006年12月30日踏査。
▲復元された南門。四重の城郭の一番外郭だと思う。
▲解説版。忠清北道記念物第35号。
▲▼城門に続いて、城壁が山の斜面に沿って上っている。
▲崩れた石垣がそのまま散乱している。
▲南門付近の城壁は復元されて小ぎれいだが、少し上まで登ると古い城壁がそのまま残っている。
▲復元された東門。南門同様、谷間にあたる場所の街道に設けられている。4重の城郭の内、どれにあたるのか分からない。
▲▼この東門付近の城壁も、谷部から山上に向かって城壁が斜面を上っている。
▲上の写真の城壁の裏側、城内。崩れた面を見ると、内部にもぎっしりと石が詰められているのが分かる。クリックして拡大して見ていただきたい。
▲この城壁を登れる所まで登って見た。
▲かなり修復されていて、どんどん上まで行けた。
▲東門が大分小さくなってきた。この城壁を登っている人は他に誰もおらず、高度も高くなって段々不安感が増してくる。
▲東門のある谷を挟んで反対側の急峻な山腹には、ところどころ修復されていない古い城壁を目にすることができた。
▲下にタクシーも待たせてあり、そろそろ心細くなってきて降りることにした。
▲下まで降りて、城内から東門を見る。川は凍っていた。
▲もう一度登って来た城壁を振り返る。石垣の石の量に圧倒される。これもぜひクリックして拡大して見て欲しい。
▲▼東門のもう片側はかなり険しい岩山だが、古い城壁が岩盤上にも築かれている。
« 温達山城 (온달산성)~高句麗温達将軍伝説 | トップページ | 大邱達城 (대구달성) ~三国時代初期の城郭 »
「忠清道の史跡」カテゴリの記事
- 陰城 水精山城(수정산성)~三箇所の水口が復元された謎の城壁(?)(2008.12.25)
- 丹陽 赤城(단양적성)~竹嶺を越えて高句麗領へ・・6C新羅の北進橋頭堡(2008.11.30)
- 月坪洞山城(월평동산성)~5C高句麗南進の最南端地点か?(2008.11.09)
- 寶文山城(보문산성)~ピカピカに復元された百済後期の山城(2008.10.19)
- 新昌鶴城山城(신창학성산성)~真の任存城と思ったら・・・(2008.10.13)
「山城」カテゴリの記事
- 韓国古代山城探検の参考サイト(2022.08.13)
- 再び韓国暮らしになりました(2020.08.30)
- 南山新城(남산신성)~南山新城碑 来日記念(2014.11.03)
- 近況&お勧め情報 「白村江の戦いの故地をめぐる旅」(2013.11.11)
- 陰城 水精山城(수정산성)~三箇所の水口が復元された謎の城壁(?)(2008.12.25)
「李氏朝鮮の史跡」カテゴリの記事
- 南漢山城(남한산성)再訪~発掘調査が明らかにした統一新羅時代の遺構(2008.12.21)
- 幸州山城(행주산성)~文禄の役の古戦場は、三国時代からの古城址(2008.06.29)
- 江華島北部の史跡~江華聖堂、江華山城、高麗宮址(2008.01.02)
- 江華島 三郎城(삼랑성)(2007.12.22)
- 堤川 德周山城 (덕주산성)(2007.07.16)
コメント