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2008年2月 3日 (日)

雪城山城(설성산성)~漢城百済の痕跡-6

京畿道利川市の雪城山城を訪ねる。近くに雪峰山城がある。どちらも雪にちなんだ名前だ。利川市は全体に低い山がちらばる内陸の平地だが、確かにソウルと比べると雪がよく振る。たぶん大昔からそうだったのだろう。

雪城山は、標高290.4mのなだらかな山。山城は、頂上と隣の峰との間の谷を、石の城壁で約1kmに渉って囲んでおり、包谷式山城と分類されている。

1999年から始まった本格的な発掘調査が今も進行中である。3次調査までの2003年の調査報告書がネットで公開されていて、これが中々面白い。あくまでも途中経過の報告で今後の発掘調査完了まで結果は出せないと断りつつも、以下のような見解が述べられている。

1.発掘調査結果、最初に土城があって後から石城に改築した形跡は認められない。
  当初から石城として築いた可能性高い。
2.城壁基底部から出土する土器は4~5世紀の百済様式である。
3.新羅の土器は9世紀のものが中心で、8世紀のものが出ていない。
4.現時点で出土した土器の量はは百済式のものが大多数である。

4~5世紀というと、百済が最初の都を漢城(今のソウル)に構えた時代である。その頃の百済の城といえば版築土塁や木柵による土城ばかりで、石城はまだなかったのでは、と言われて来たが、この雪城山城の発掘調査によって書き換えられていくかもしれない。
近くの雪峰山城も、雪城山城と似ている点が多いとのことで、そちらの調査結果も見直すべきだとの話しが出ているらしい。

全7回の計画になっている今後の発掘調査結果が楽しみである。
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2007年2月24日踏査

2007_0224_101139aa_800_2 ▲東ソウルバスターミナルからジャンホウォン(장호원)行きバスに乗って約1時間。テピョン(태평)ターミナルで降りる。ターミナルからタクシーでジャンホウォン方面に向かい、15分ほどでこの案内板が見える。ここから右に入って2.5km。城門まで車で行ける。

2007_0224_075148aa_800_2  ▲城内へ通じる道路の為に切開された東城壁断面。内部までぎっしり石が詰められている挟築構造。

2007_0224_075258aa_800 ▲▼東城壁の残存部。 2007_0224_080017aa_800

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2007_0224_075431aa_800 ▲▼これも東城壁の残存部。少しずつ後ろにずらしながら積み上げている。2007_0224_075706aa_800

2007_0224_075615aa_800 ▲東城壁全体を俯瞰。道路を通した辺りは、大量の石塁が散乱していた。

2007_0224_080057aa_800 ▲面石は三角形に整えられている。

2007_0224_081039aa_800 ▲東壁を北に向かって登りきると、平坦地に出る。下にお寺の屋根が見える。

2007_0224_081745aa_800 ▲▼平坦地の下の急斜面を覗くと、城壁の一部が残っていた。2007_0224_081818aa_800

2007_0224_082251aa_800 ▲城壁に沿って西側に回りこむと、城址保護と書いた大きな看板。ずいぶん古びていたが何時からあるのだろう。ちょっとほかでは見たことがない。

2007_0224_082418aa_800 ▲▼城壁の内側は、数段だけ石積が残っているところが多い。途切れるあたりにビニールがかぶせてあり、そこが西門址である。

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2007_0224_082833aa_800 ▲外から見た西門。雑草が多くて見づらいが、凹字型の懸門である。はしごなどを掛けないと入れないような高さに門を設けている。

2007_0224_083021aa_800 ▲▼この西門右下に、水門が開いている。城内の排水路からつながっている。地表面は発掘後に埋め戻してある。本来の城壁基底部はもっと下である。2007_0224_083040aa_800

2007_0224_083036aa_800 ▲たぶん発掘調査の時に補強の為に入れた木片の支えが見える。

2007_0224_083431aa_800 ▲西城壁

2007_0224_083856aa_800 ▲城内側の城壁。4段が露出している。古代山城の城壁上部はたいていの場合崩れて残っていないので、城壁の最上部がどういう仕上げになっていたかが分からない。Photo_2

▲城内中央部から見た南側高台

2007_0224_085315aa_800 ▲これも西城壁の一部

2007_0224_085353aa_800 ▲城壁補強の棒が立ててあるところは、基壇補築かもしれない。

2007_0224_085942aa_800 ▲南端の高台から見晴らした利川市内。

2007_0224_091525aa_800 ▲▼城中央部に戻る。今も使っていそうな井戸があった。2007_0224_091617aa_800

2007_0224_091733aa_800 ▲新興寺という寺が中にある。

2007_0224_091900aa_800_2 ▲寺の境内に土器片が積み上げられていた。

Photo

▲東城壁をパノラマで。

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