月籠山城(월롱산성)~漢城百済の痕跡-7
坡州市統一展望台のある烏頭山城から東数kmの標高218mの岩山の頂上に、月籠山城がある。外周1.3km。百済が4世紀頃に築いた山城址と言われている。
築いたと書いたが、城壁らしい遺構はほとんど残っていない。まず、この山の頂のかなりの部分が数10mの絶壁に囲まれていて正に天然の要害である。人工の城壁を築くまでもなかったろう。また、絶壁になっていないところには城壁を築いた筈であるが、そこには韓国軍が古タイヤで築いた塹壕が構築されていて、もとの状態がどうだったのか想像するのは難しい。岩を階段状に削った城門址が二つあると聞いたが、ちょっと素人には判別できなかった。
本格的な発掘はまだされていないが、2002年と2003年に地表調査が行われている。収集された遺物は土器片が中心で、若干の瓦片、鉄器、陶磁器片も出ている。土器片1,193点が収集されたが、焼成温度の高い硬質土器が959点で大部分。文様は様々なものが出ているが格子文土器が多く、漢城百済の代表的な遺跡とされている夢村土城や風納土城から出る土器と共通性を見せているとのこと。高麗時代、李朝時代の土器・陶磁器も少し見つかっているが、大部分が4~5世紀の漢城百済時代の土器片と見られている。
韓国軍の手がかなり入っていたり、頂上の平坦地に公園が造成されたりしているので、ほとんどの遺構が破壊されている可能性もあるが、本格的な発掘調査が待たれる。
2007年3月1日踏査。上写真は月籠山頂上と20mを越える断崖。
▲統一展望台からタクシーで10数分。月籠山は近隣住民のハイキング場所になっており、運転手もすぐに分かった。たぶん北東側(?)の共同墓地のある辺りから、このような舗装路に沿って登って行った。
▲登りきると、山頂は南北に長い平坦地が広がっていた。
▲▼東側城壁があったと思しきところには、韓国軍による古タイヤの塹壕がしっかり構築されていた。
▲後で分かったが、韓国の要所の山頂にはこのように古タイヤの塹壕があちこちに築かれている。古代山城の跡地で、特にこの臨津江流域の国境地帯でよく見る光景。
▲史跡解説版が立つ。京畿道記念物196号。
▲▼東隣の山頂がよく見えた。
▲軍の施設だろうか。位置的に、鳳西山城跡かもしれないが自信が無い。
▲北麓にはLGフィリップスの巨大なLCDパネル工場が見える。
▲▼土砂に覆われて分かりにくいがトーチカの跡である。
▲トーチカ跡の銃眼が口をあけている。
▲頂上は南北に長く、途中で瓢箪のようにくびれている。
▲岩盤を削って、中に小さな仏像が祭られていた。
▲頂上南側の一番広い平坦地は、公園になっていた。
▲頂上がある南端は、断崖が細長く突き出している。
▲西側のほとんどがこのような絶壁になっている。柵も何も設置されておらず、一歩踏み出したら20m下に墜落だ。
▲東南の絶壁の上で弁当を広げる家族連れ。韓国の山の頂上でよくみられる光景。
▲南側から下山する。頂上の体育公園から0.2km、麓の龍床寺まで0.45km地点。
▲月籠山龍床寺の山門。
▲下山して、大通りを目指して南に歩いて行くと古タイヤを積み上げたこのような景色。
▲遠くに月籠山頂上の旗が見える
▲分隊戦闘射撃場の表示が・・・。知らずに射撃場を通り抜けていたようだ。日によっては南側から月籠山へのアプローチは危ないかも?
▲▼月籠山遠景。
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