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2008年3月 5日 (水)

城洞里山城(성동리산성)~好きな所からまっすぐ登れ!

京畿道泡川市永中面城洞里。
東西南北の道路が交わり、臨津江に通じる支流が流れる小さな町。2006年末に出た「임진강주변 고구려城을 찾아서(臨津江周辺の高句麗城を訪ねて)」という本で、ここに古代山城の城壁が残ることを知って訪ねてみた。一ヶ月前に訪ねた泡川半月城の北、10数kmのところだ。
泰封山(標高180m)の山頂に周囲約400mほどを石築で囲んだ山城である。多様な土器片、瓦片が出ているが、統一新羅時代のものが主流とのこと。高麗以降のものは出ていないようだ。

本に書かれている説明と、ネットで探した断片的な情報をもとにバスで近くまで行ってみる。農作業をしている人をつかまえて聞くと、どの山かはすぐに分かった。2007_0303_151543aa_800
登山口を訊いたが、あのくらいの山、適当に正面から直線で登りなさい!大丈夫。といい加減な答え。しかし登山道が整備されるような山ではないかもしれないと思い、ままよと思って、道路に面した東側斜面を、ほぼ直線コースで登り始めた。
しかし、これは思ったよりきつかった。 2007_0303_152847aa_800_4
上に行くほど急斜面になり、後半は四つんばいで這い上がるようにして、少ない木の幹や岩を手・足がかりにしながら、なんとかかんとか20分くらいで登り切った。汗びっしょりである。

ほぼ登り切ったところで目に飛び込んできたのが東壁だ(下写真)。もっと近づいて正面から撮ろうと思ったが、城壁周囲は急斜面になっていて、足場が崩れやすく、これは本当に危険で諦めた。2007_0303_153658aa_800 ちなみに前記の本ではこの城壁を真正面からカメラに収めている。よく読むと、足場の傾斜が厳しくて、ずるずる滑り落ちそうに、と書いてある。危ない、危ない。よく撮ったものだ。
城内に入ると、さらに驚かされた。ここは韓国軍の要塞である!城壁に沿った頂上の外周全てに1~2mの深さの塹壕が掘られており、古代の城壁が、コンクリートと古タイヤで構築された現代の要塞と一体化している。2007_0303_154348aa_800 無人ではあったが、最近まで使っている様子で、ちゃんとメンテナンスされている。塹壕には10mおきくらいで、銃眼のついたコンクリート製の詰め所が作ってある。数えなかったが、30箇所くらいはあったと思う。
肝心の古代山城の城壁は、最初に見た東壁以外に北壁がよく残っていた。それ以外の部分は、この韓国軍の陣地で壊されていてよくわからなくなっていた。頂上の平地にはコンクリート製のトーチカ(上写真)まであり、まるで秘密基地だ。

東から入って北、西と巡り、南側の城門跡近辺にまで行くと、開けたゆるい傾斜になっていて、韓国軍が整備したと思われる登山口があった。ここから登ってくれば楽だったろうが、東の城壁は見つけられなかったろう、と思った。

下山すると、農家の爺さんから何しにきたんじゃ、と訊かれる。山城を見にきた、立派な城壁だったというと、嬉しそうに、本見てきたのか?そうだ、ちゃんと史跡に指定して管理すべきなのに、全然なってないんじゃ、と悔しそうだった。
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▲北壁をパノラマで。2007年3月3日踏査。

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▲麓から東側をズームで写してみた。城壁ラインらしき形が、木々の間から辛うじて垣間見えた。

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▲ほぼ登りきったところが東壁。残存城壁の正面に近づこうとしたが、急斜面の足場が弱く、簡単に崩れるので止めておいた。

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▲この東壁の残存部分も、何時まで持つだろうか。それにしても、この急傾斜に城壁を築くのは、防衛上は意味が無い。こちら側が南北を縦断する街道に面しているので、威嚇する目的で視覚的効果を狙ったものだろう。こういう例が古代山城によく見られる。

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▲▼城壁に沿って塹壕が掘られている。元の城壁の割り石を転用している。

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▲こちらは古タイヤの塹壕と、ビニールシートが暖簾のように入り口を覆っている半地下の詰め所

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▲城内は平坦地が広がる。

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▲谷間を北に伸びる街道が遠くまで見通せる。百済や新羅の兵士達が、ここでこうやって高句麗軍を見張り続けたのだろうか。

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▲かび臭い半地下の詰め所に入ってみる。

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▲銃眼から外を見る。

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▲▼北側に出ると、城壁が数10m残っていた。

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▲▼西側に回りこむと、解説板が設置されていた。

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▲「泰封山城址」 抱川市郷土遺跡第29号。山城の名前は、資料によって異なることがあるので紛らわしい。

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▲外側から見た詰め所の銃眼。周りは城壁の石で固めてある。

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▲▼南側の眺め。街道と川を監視できる。

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▲頂上に設置された、指令所のようなトーチカの中に入ってみる。

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▲通路を通って、右側に部屋があるようだ。

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▲内部には何も置かれていなかった。演習等でたまに使うだけなのだろうか。

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▲土で覆われた屋根の上から見た南側の入り口。

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▲北側はこんな感じで銃眼の周囲だけが露出している。

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▲▼瓦片や土器片が山積みになっていた。

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▲▼こういう脚付きの土器には中々お目にかかれない。

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▲一周して最後に来た南側に、ちゃんと登山路が作られていた。しかしこれも古タイヤ。

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▲南側から見た泰封山。北や東は急峻だが、南側は緩やかな傾斜だった。2007_0303_162558aa_800

▲下山して街道に戻る。飲食店の赤い看板のところにバス停があった。

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▲城洞5里。ここで降りて、南から登っていれば楽だった筈。30分近く待って、議政府行きバスに乗って帰途についた。

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