城洞里山城(성동리산성)~好きな所からまっすぐ登れ!
東西南北の道路が交わり、臨津江に通じる支流が流れる小さな町。2006年末に出た「임진강주변 고구려城을 찾아서(臨津江周辺の高句麗城を訪ねて)」という本で、ここに古代山城の城壁が残ることを知って訪ねてみた。一ヶ月前に訪ねた泡川半月城の北、10数kmのところだ。
泰封山(標高180m)の山頂に周囲約400mほどを石築で囲んだ山城である。多様な土器片、瓦片が出ているが、統一新羅時代のものが主流とのこと。高麗以降のものは出ていないようだ。
本に書かれている説明と、ネットで探した断片的な情報をもとにバスで近くまで行ってみる。農作業をしている人をつかまえて聞くと、どの山かはすぐに分かった。
ほぼ登り切ったところで目に飛び込んできたのが東壁だ(下写真)。もっと近づいて正面から撮ろうと思ったが、城壁周囲は急斜面になっていて、足場が崩れやすく、これは本当に危険で諦めた。 ちなみに前記の本ではこの城壁を真正面からカメラに収めている。よく読むと、足場の傾斜が厳しくて、ずるずる滑り落ちそうに、と書いてある。危ない、危ない。よく撮ったものだ。
肝心の古代山城の城壁は、最初に見た東壁以外に北壁がよく残っていた。それ以外の部分は、この韓国軍の陣地で壊されていてよくわからなくなっていた。頂上の平地にはコンクリート製のトーチカ(上写真)まであり、まるで秘密基地だ。
東から入って北、西と巡り、南側の城門跡近辺にまで行くと、開けたゆるい傾斜になっていて、韓国軍が整備したと思われる登山口があった。ここから登ってくれば楽だったろうが、東の城壁は見つけられなかったろう、と思った。
下山すると、農家の爺さんから何しにきたんじゃ、と訊かれる。山城を見にきた、立派な城壁だったというと、嬉しそうに、本見てきたのか?そうだ、ちゃんと史跡に指定して管理すべきなのに、全然なってないんじゃ、と悔しそうだった。
▲麓から東側をズームで写してみた。城壁ラインらしき形が、木々の間から辛うじて垣間見えた。
▲ほぼ登りきったところが東壁。残存城壁の正面に近づこうとしたが、急斜面の足場が弱く、簡単に崩れるので止めておいた。
▲この東壁の残存部分も、何時まで持つだろうか。それにしても、この急傾斜に城壁を築くのは、防衛上は意味が無い。こちら側が南北を縦断する街道に面しているので、威嚇する目的で視覚的効果を狙ったものだろう。こういう例が古代山城によく見られる。
▲▼城壁に沿って塹壕が掘られている。元の城壁の割り石を転用している。
▲こちらは古タイヤの塹壕と、ビニールシートが暖簾のように入り口を覆っている半地下の詰め所
▲城内は平坦地が広がる。
▲谷間を北に伸びる街道が遠くまで見通せる。百済や新羅の兵士達が、ここでこうやって高句麗軍を見張り続けたのだろうか。
▲かび臭い半地下の詰め所に入ってみる。
▲銃眼から外を見る。
▲▼北側に出ると、城壁が数10m残っていた。
▲▼西側に回りこむと、解説板が設置されていた。
▲「泰封山城址」 抱川市郷土遺跡第29号。山城の名前は、資料によって異なることがあるので紛らわしい。
▲外側から見た詰め所の銃眼。周りは城壁の石で固めてある。
▲▼南側の眺め。街道と川を監視できる。
▲頂上に設置された、指令所のようなトーチカの中に入ってみる。
▲通路を通って、右側に部屋があるようだ。
▲内部には何も置かれていなかった。演習等でたまに使うだけなのだろうか。
▲土で覆われた屋根の上から見た南側の入り口。
▲北側はこんな感じで銃眼の周囲だけが露出している。
▲▼瓦片や土器片が山積みになっていた。
▲▼こういう脚付きの土器には中々お目にかかれない。
▲一周して最後に来た南側に、ちゃんと登山路が作られていた。しかしこれも古タイヤ。
▲南側から見た泰封山。北や東は急峻だが、南側は緩やかな傾斜だった。
▲下山して街道に戻る。飲食店の赤い看板のところにバス停があった。
▲城洞5里。ここで降りて、南から登っていれば楽だった筈。30分近く待って、議政府行きバスに乗って帰途についた。
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