望夷山城(망이산성)~百済の土城を新羅が拡張改築
京畿道安城市一竹と忠清北道陰城郡の境界にある望夷山城を訪ねる。標高472mの山頂にある山城で、百済の築城になる小規模な鉢巻式土城を含む谷を、統一新羅時代の包谷式石城が2kmにわたって囲んでいる。
山頂近くに梅山寺という小さな庵程度の寺があり、そこまで麓から車一台がやっと通れる舗装路が続いている。そこからさらに徒歩で数100m上がれば、望夷山城にたどり着く。
統一新羅時代と言われる石垣は、下層部しか残っていない部分が大半だったが、城門跡三ヶ所や、雉城と呼ばれる城壁の突出部も五ヶ所が残っている。城内は水が豊富で今も水を湛える井戸が残っているだけでなく、小川が流れており湧き水が出るところも数箇所あった。 出土遺物は、青銅器時代後期から、百済、統一新羅、高麗、李朝と継続している。注目されるのは、鉄製短甲が出ていること。 日本の古墳からも多く出土する武具である。青銅器時代の遺物が山頂から出る例は多くないようだが、三国時代以前、この山がどのような場所だったのか、興味深い。
また、残念ながらうまく場所を確認できなかったが、この城内の山頂あたりに李朝時代の烽火台跡がある。東蓬、忠州からの直烽と、南海、晋州方面からの間烽の二系統をソウルの南山烽火台に伝える重要な役割を担っていたようだ。
今ではこれという特徴も無い田舎町であるが、有史以来李朝末まで、交通・通信の拠点として重要な役割を担ってきた地であったろう。
2007年4月7日踏査
▲一竹バスターミナル。コンビニと一体化してます。ちょっと見にはターミナルには見えない。ただのバス停。
▲テボンが最寄りのバス停。
▲南に下って行くと、山城への道路標識が見える。
▲望夷山城へ向かう道の入り口に、史跡解説板が立っている。ここを左に入って後ろに見える山の頂上を目指す。黄色い看板の梅山寺(매산사)を目指して行っても同じ。
▲山頂近くにある、梅山寺(매산사)。この後ろを登っていけばすぐ。
▲稜線を登っていくと、石築の城壁が見えてくる。どの山城も稜線は敵の侵入経路として重要な防御地点であり、城壁を突出させるなど、特に堅固な作りをしてある場合が多い。
▲痕跡は僅かだが、ここも雉城と呼ばれる突出部の跡だろう。
▲頂上標識。馬耳山。韓国音でマイサンと読む。
▲少し黄砂で煙っていたが、眺望は極めて良かった。
▲望夷山城解説板
▲西城壁を北上して行く。このようにくねくねと折れ曲がる不定形の自然地形に沿って城壁が築かれている。
▲▼西門跡
▲門脇の壁には長い石材を使っている。
▲街道が遠くまで見通せる。
▲▼蛇行する地勢に沿った特徴的な西城壁が比較的残りが良かった。
▲▼小振りの正方形に近い切石を品字型に積み上げている。統一新羅時代によく見られる様式のようである。
▲基底部は階段式に少しずつ後ろにずらしながら積んでいる。
▲瓦片。これは魚骨紋に見えるので、高麗時代のものか。
▲西城壁から北側に回りこむと、残存状態が悪く、ところどころ途切れてくる。
▲▼だんだんヤブが深くなってくる。散策路は大抵城壁の上に設けられているので壁面を見るにはヤブコギになることが多い。
▲北雉城にたどり着く。発掘後の保護シートが見える。
▲▼シートがめくれたところに雉城の側面城壁が見える。
▲北雉城正面
▲雉城の角の石。調査後長期間放置されているようであるが、修復するならするで早く着手して欲しいものだ。
▲▼雉城の正面左側面
▲上から見下ろした雉城。3~4mくらいの高さか。
▲▼井戸が残る。
▲城内の高台から見下ろした急斜面。この辺りで鉄製短甲が出たようである。
▲百済時代の土城が内城にあたり、解説板が立つが、どこからどこまでが土塁跡なのか判別できなかった。城内の最高地点の高台に250mの版築城壁が確認されているとのこと。
▲南門跡解説板
▲南門跡。解説板によれば、現在の幅は4.1mだが、発掘調査の結果、一度改築して幅を2m狭くした痕跡が確認されたとのこと。また、この門付近からは百済から高麗時代までの多くの遺物が出ているが、高麗時代の銘文瓦中、「?國七年」と書かれたものがある。これを「太平興国七年」と読めるならば、972年にあたるとのこと。
▲▼基底部にはかなり大きな石を使っている。
▲上から見下ろした南門跡。
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