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2008年4月27日 (日)

清原壤城山城(청원양성산성)~三連水門と古代山城最大規模の円池

忠清北道清原郡文義面の壤城(養性)山城を訪ねる。
ここは近くにダムがあって景観が美しく、ちょっとした観光地になっている。
展望台がある一番高い峰の山頂(378m)にまっすぐ向かう登山客を横目に、その隣り山(292m)にある壤城山城を目指して一人山道を行く。2007_0415_091725aa_800 10数分上り続けながら、どうも途中で道を外れたのではないかという疑念が。途中で道が二股に分かれていたのを、こちらが本道と思って右に進んだのだが、どうも山をぐるりと迂回しつつ、頂上に向かう道を失いつつある。戻って登り直すかどうするか、しばし逡巡したが、沢のようなところから上に上がれそうに見えたので、草木を掻き分け掻き分け進んで見た。何とか行けそうだ。途中で写真のような美しい新緑の森に。2007_0415_091829aa_800 そこからさらに擦り傷だらけになりながら上に上がると、森の木々の間、遠く頂上に探していた山城の城壁がかすかに見えた。それも今回見たかった水門らしき四角い黒い穴がぽっかりと開いているのが木々の狭間からはっきり見えた。 山城を探して道無き道を登りつつ、城壁が見えた瞬間は、いつもちょっとした感動に襲われる。
とげのたくさんある、イバラのような枝を避けつつ、何とか這い上がってその城壁にたどり着く。 2007_0415_092759aa_800 朝鮮の古代山城の特徴の一つは、城壁も、出入り口の城門でさえも、人の接近を阻むような傾斜地を選んでいることが多い点だ。おかげでうまくアプローチしないと文字通り這い上がるような体勢を取らざるを得ない。
お目当ての水門は、最初二つだと思ったが、右端に草に隠れてもう一つあった。三連の排水口だ。こんなのははじめて見た。2007_0415_094529aa_800 また、城壁の基底部をよく見ると、苔むしていて分かりにくかったが、基壇補築と呼ばれる底部補強の為の段状の城壁が積まれているのに気付いた。これは新羅系の山城によく見られる構造だ。2007_0415_093649aa_800

城壁の写真をたっぷり撮って、城内に這い上がると、城壁周辺の整備工事をしているところに出た。工事のおじさんたちから「この下に道無かったろう?、わざと運動の為に上がってきたのか?」と興味深々で話しかけられる。本当は道に迷ったのだが、面倒くさいのでそうそう、体鍛えてるのよ、とごまかす。古代山城が・・・などと話そうものなら、ますます訝しがられるだけである。
この城壁のすぐ上は、城内で一番低い谷状の場所の平坦地になっていて、そこに巨大なクレーターのような貯水池跡を見つけてさらに驚かされた。直径約19mの円形で、外周60mにもなるとのこと。排水溝らしき溝もあった。三連の水門はこの巨大な貯水池の排水のためだろうと納得。後で調べると、韓国の古代山城で発見された円池の中で最大規模とのことだ。 2007_0415_101523aa_800
韓国文化財庁ホームページの解説によると、この城は外周985m、東門跡、南門跡、遮断壁があるとのことだが、残念ながら確認できなかった。城壁もこの水門のあるところ以外に石積みが残る場所は見つけられなかった。円池跡で土器・瓦片が山積みになっているのを見たが、それらを元に三国時代の城と推定されているようである。地表調査は2000年から2001年に掛けて実施されているとのことだが、本格的な発掘調査が期待される。

2007年4月15日踏査

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▲山城の麓には、「文義文化財団地」という小さな歴史テーマパークのような施設がある。

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▲「文義文化財団地」の説明板。山城について少し書かれている。''養性山城''は新羅慈悲王17年(474年)に築いた城で、高麗と後百済の戦闘や、朝鮮時代に祈雨祭を貯水池で行った記録が残っている、とのことである。

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▲登山案内図。右上の峰に山城がある。

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▲藪をくぐり抜けて登って行くと、城壁の残骸らしき苔むした石塁がだんだん増えてくる。

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▲城壁にたどり着いた。四角い水門が二つ、ぽっかりと口を開けている。

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▲右側の水門

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▲左側の水門

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▲城壁から見下ろした北側の景色

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▲▼崩れかけているが、基壇補築の跡が見える。

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▲苔むした補築城壁の壁面。草刈りをして、綺麗にすればもう少し分かりやすくなるだろうが。

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▲城壁右側から城内に上ろうとして、ふと見ると、草に隠れて黒い穴がもう一つ。三つ目の水門だ。

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▲三つ目の水門は、他の二つの水門と少し高さを変えてあった気がするが、写真でみてもよく分からない。

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▲城壁の真上の城内。何かの整備作業をしていた。

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▲土器や瓦片が山積みに。

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▲様々な色、文様が混在。いつの時代のものだろう。

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▲▼城壁上の平地に広がる、クレーターのような大きな窪地。直径19mの円池の跡である。

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▲ここで李朝時代に祈雨祭が行われた記録があるとのことだ。

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▲隣の峰の頂上に展望台があって、ハイキング客はこちらを目指す。

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▲▼展望台からダムを見下ろす。山頂付近は山ツツジの群生地になっていて、まだ五部咲きくらいではあったが、美しかった。

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コメント

この登頂記は読んでいてワクワクします。
きれいな新緑を越えて城壁に出会うところがいいですね。

排水溝の話がよく出るなと思っていましたが、径19mの池ってすごいですね!!山頂ですよね。
兵糧攻め対策がメインなんでしょうけど、たまった水で雨乞いの結果確認もできるし、なんか合理的な気がします(笑)

実際に登頂していた時の感動がうまく伝わったようで、嬉しいです。

先日、母校の大学図書館に何年ぶりかで行って見たら、韓国のいろいろな遺跡調査報告書が棚いっぱいにあって驚き。この山城の調査報告書もありました。19mの池は、掘り出した写真が載っていて、石築が一部残っていました。こんど借りてきてじっくり読む積りです。

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