六渓土城(육계토성)~臨津江沿岸の古城群-2
臨津江沿いに、瓠蘆古壘から始めて東に向かって順番に城址を訪ねた。
瓠蘆古壘の対岸に対峙する位置にある二残眉城は、残念ながら韓国軍の基地になっていて、一般人は入ることができない。その東にある、六渓土城を目指した。蛇行する臨津江が北に大きく湾曲する場所であり、この辺りは浅瀬になっていて、朝鮮戦争の時には北朝鮮の戦車部隊が渡河したところらしい。当然、戦略的に抑えなければならない要地であるが、ここに、平地の土城である六渓土城の痕跡が残っている。
Google Earthで見るとこんな感じである。岸沿いに、楕円形のような地割りが見える。資料を参考に城壁ラインを辿ってみると、下図のようになる。
赤線が残存城壁が確認されている部分。黄色は城壁推定ライン。外周約1.7kmで、城内に220mの間隔を置いて、平行する二本の土塁線がある。推定門址は、東西南の三箇所。また、西門跡には東西に長く、南城壁中央まで伸びる低湿地が確認されており、川まで繋がる水路の存在が想定されている。臨津江から直接船で城内に入れるようにしてあったのではとのこと。
このような平地の土城は、三国時代のごく初期に作られたものと見られ、初期百済の王城と推定されている、ソウル市の風納土城が最も有名である。風納土城は規模こそ外周3.7kmと六渓土城の約二倍であるが、川沿い、漢江の南岸に立地している土城で、プランはよく似ている。平地に版築土塁で囲んだ城というのは、中国で発生した城郭という文化が、まだ直輸入状態のようでもある。
2007年6月16日踏査
1996年7月の集中豪雨で、西城壁と内側の平行する二本の城壁が完全に流失したことをきっかけに、1996年と1997年に緊急発掘調査が行われた。この最初の調査では、主に4~5世紀の高句麗土器が出土したが、続く2005年の発掘では漢城百済時代の土器が主に出土した。2005年の調査では、北壁と南壁を中心に調査され、外甕城と推定される遺構が確認されたとのことだが、中国城郭の馬面のような構造なのかどうか詳細が分からない。また、城壁の基壇部に2~4段の基礎石築も発見されている。版築はその上に築かれているとのこと。
これまでの調査結果からすると、初築は4世紀頃の漢城百済と見て良さそうである。その後、5世紀に高句麗の南下で占拠され、再活用されたのだろう。三国時代の多くの城は外周1km以内であることを考えると、この六渓土城の周長1.7kmは、かなり大型である。この臨津江沿岸の数多い城郭の中でもおそらく最大規模であり、この臨津江防衛ライン上での、百済の対高句麗戦における中心的な役割を担った城郭であったと思える。
さて、実際に現地に行ってみると、こんな光景が広がっていた。
大体、城内にはたどり着いていた筈なのだが、全体が農地になっていて、どれが残存城壁でどれが農地の境界の土盛りなのか、どうも判然としなかった。 ちゃんと準備して行かなかったのが悪いのだが、だだっ広い平地の中でただ呆然としてしまった。
▲たぶんこのあたりが城壁ラインだと思うのだが、自信が無い。訪ねた時は文化財の指定を受ける前だったが、その後2007年10月に坡州市記念物第217号に指定されたので、今は案内板などが設置されているかもしれない。
このような平地の土城は残っているものが少なく、三国時代初期城郭の姿を今に伝える、大変貴重な遺構である。
参考図書;
最近発掘한百済遺跡 チェ・ビョンシク著 周留城出版
百済地域의古代山城 車ヨンゴル著 周留城出版
京畿道의城郭 京畿文化財団
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おお、google earthでスゴイ図説が。平城でまるで日本でも見れそうな城郭の形状ですね。技術直輸入状態ってのが面白いですね(笑)こなれていないみたいな。
しかし現代でも戦略的に重要な土地のはずなのに、google earthけっこうな縮尺まで写真で見れるんですね・・・日本国内でもけっこう見れない所が作ってあるのに。
投稿: 라지파파 | 2008年10月29日 (水) 00時19分
google earthでいくつかの城跡を探してみると、やはり今も軍事施設があるところは、ちゃんと見られませんね。ここは農地なのでこうやって見られますが、すぐ近くの軍基地になってるところは、ちゃんと見られなくしてあります・・・・。
投稿: しげ@SEOUL | 2008年10月29日 (水) 06時34分