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2008年6月20日 (金)

堂浦城(당포성)~臨津江沿岸の古城群-3

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六渓土城からまた北岸に戻り、臨津江沿いに東に進んで順番に見て行く。最初に見た瓠蘆古壘と同様、川に突き出た三角形の地形に作った城跡が二つ続くが、まずは堂浦城。発掘調査時の写真では見事な石垣の城壁が、階段状に三段に築かれているのが分かるが、現状は残念ながら埋め戻されており、なだらかな斜面にしか見えなかった。

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▲▼木が上にちょっとだけ生えている盛り上がりが、城壁である。

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▲対岸を見ると川に面した絶壁が続いているが、この城も同様の断崖状地形の上に位置している。二等辺三角形の長辺二つが、このような高さ13mの断崖で、陸地側の底辺に当たるところに人工の城壁を築いている。最初に見た瓠蘆古壘、堂浦城それに次の隱垈里城はどれも同様な地形上に築かれており、この特異なプランだけ見れば、どれも同一勢力によって同時期に築かれた可能性を窺わせる。高句麗による対百済の、南侵戦略拠点であったのかもしれない。

2007年6月16日踏査

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▲堂浦城には、こんな解説板が数枚立っている。京畿道の高句麗遺跡と銘打っている。

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▲この城壁の地表面からの高さは6m、長さ50m。城全体の外周は450m。

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▲現状では城壁上の木の根元に、僅かに石築が露出しているだけだ。

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▲城壁脇は道路を通すために城壁が削られたように見える。

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▲城壁断面を見ると、内部に割石がぎっしり詰まっているのが分かる。

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▲この城跡にも、韓国軍の塹壕が堀りめぐらされていた。

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▲2003年に陸軍士官学校博物館によって発掘調査が行われている。高句麗系の瓦片や土器が見つかっているが、一番多いのは新羅系の土器等の遺物。高句麗の初築で新羅が引き継いで使ったと考えても良さそうだが、この城壁が誰の手になるものかは分からない。城壁の一部を垂直に切開して断面調査をした際、珍しい遺構が見つかっている。城壁上から底部へ貫通する垂直穴(上写真中央)が二つ確認された。さらに、この垂直穴の底には、軸受け石(上写真左)のようなものも見つかっている。軸受けの穴は、深さ7cm、底部直径22cm、上部直径が31cmとのこと。城壁の垂直穴は他でも確認例があるが、穴の基底部で軸受けが見つかった例は珍しいようだ。垂直穴の用途については諸説あるが、堂浦城の場合、軸受けがあることからして、木材を刺して回転させた可能性があり、投石器等の一部ではないかと推測されているようだ。

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▲陸地側から見た、堂浦城の城壁。この城壁の外に、深さ3m、幅6m程度の堀の跡が確認されている。

参考図書;

・「京畿道의城郭」 京畿文化財団 2003

・「천리장성에 올라 고구려를 꿈꾼다」 (千里の長城に登って高句麗を夢見る) 전성영写真・文 한길社 2004  ~中国と韓国の高句麗城址を訪ねる写真エッセイ。発掘調査時の城址のカラー写真が、堂浦城を始めとして多く掲載されている。

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