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2008年7月13日 (日)

唐城(당성)~唐への海上交通の要衝地

京畿道華城市にある、唐城を訪ねる。
世界遺産の水原華城がある水原市から、ローカルバスで小一時間かかった。黄海に小さく突き出た南陽半島のちょうど真ん中、九峰山中腹にある。

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▲中央に赤丸で囲んだところが唐城。

三国時代から、中国に海から向かうルートの一つだった要衝地である。最初は百済の地であり、高句麗、新羅と持ち主が移っていった。三国史記にある党項城がこの城であろうと比定されている。 新羅末には唐城鎮が設置され、王京の慶州から尚州、報恩の三年山城を経由してこの地に至る道を、唐恩浦路と呼んだらしい。

国家指定史跡になっているので、道路脇に案内表示(下写真)はちゃんとあったが、その後が何も無い。

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何箇所かで枝分かれする道を何度も行きつ戻りつしながら、30分以上かけてやっと城跡にたどり着いた。 事前に調べた古い情報によれば、城壁はほとんど崩壊して残っておらず、土塁や僅かに残る石塁くらいの筈であったが、何時作ったものか、綺麗な石築の城壁(下写真)が数100mも再現(?)されていて、ちょっと興醒めした。

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発掘調査の結果、当初は多郭構造の山城と思われていたのが、時代をそれぞれ別にする三期の城郭であることが分かった。そのうち、一番古いものが山頂363mを囲んだ城壁で、基壇補築が確認されている。これは石築のようだ。出土する遺物は6~8世紀のものが大半とのこと。この山頂式山城を貫通する長方形の包谷式山城が、外周1.148km。こちらは基礎に石築が並べてあって、その上に版築土塁で城壁を作っている。出土遺物は新羅末のものが多いとのこと。

黄海を見渡せる、城の一番高い場所には建物跡の礎石があるとのことだが、夏草ボーボーで見つけられず。しかし、いろいろな模様の瓦片が転がっているのは確認できた。

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▲瓦片。生い茂る雑草の間からでもいくつか垣間見えた。

何となく、山城から海を見てみたかったので、一応目的は達成。山中の栗の木が早くもたわわに実っていて、栗の実がゴロゴロ登山道に転がっているのに驚かされた。韓国の短い秋がもう始まったのを実感した。
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▲城内最高所の建物跡からの眺め

2007年9月2日踏査

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▲ソウルからバスで水原まで。水原華城を抜けて水原駅まで行き、そこからデブ島、チェブ島の海水浴場方面に行くバスに乗り換える。

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▲途中下車して九峰山を見上げると、木々の間から僅かに城壁が垣間見えた。道路脇の案内表示があるところからは、この城壁に正面からは登れない。裏から回り込む。

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▲山の裏まで回りこむと、この入り口に辿り着く。史跡解説板や記念碑が立っている。

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▲この入り口の右手には平坦地が広がる。建物跡などがあったところだろうか。

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▲この片にも瓦片みたいなのが転がっているが何時のものか分からない。

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▲入り口から道なりに登って行くと、石塁が見えてくる。

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▲やがて復元城壁区間に繋がる。

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▲麓から見えた城壁がこのあたり。

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▲史跡解説板

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▲▼復元城壁に沿ってずっと進むと、西側の海に面した最高所に出る。

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▲最高所には建物跡の礎石があるとのことだが、雑草に覆われていたためか、見えなかった。

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▲瓦片はいくつも見つけられた。

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コメント

瓦片に誰も気をつかっていないのでしょうかね・・・
いつの時代のものか分析する大学の先生もいないのか、と気になります。

小学生の頃に国分寺跡で似たようなものを拾って帰ったことがありましたが、後で凄く良心が咎めて返しに行ったことを思い出しました。

라지파파さん、

さっそく書き込みありがとうございます!
瓦片ですが、多くの山城跡で、いくらでも転がってるんですよ。特に門の跡とか、平地が広がってる、建物跡らしきところなんかにあります。平瓦だとか細かい破片なんかだと価値を見出されないようで、放置されてますね。模様入りの軒丸瓦なんかは博物館行きと思いますが。

記念に持って帰ろうかと思ったことがありますが、やはり気が咎めて持って帰ってませんね。

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