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2008年7月20日 (日)

大興任存城(대흥임존성)~百済復興運動の任存城比定地だったが・・・

忠清南道禮山郡に残る大興任存城を訪ねた。 鳳首山城ともいう。
忠清南道の真ん中辺り、公州市の北西に位置する。
百済が660年に滅んだ後、百済の残党による復興運動の最後の拠点地になったところと言われている。 しかし後で、徐程錫著「百済의城郭」学研文化社2002 をよく読んでみると、この比定にはあまり大した根拠も無いようで、彼が諸文献を詳細に検討し、現地踏査して出した結論によれば、真の任存城は西隣の洪城郡にある鶴城山城とのことである。私としてはこの説に軍配を上げたい。

さて、ソウルからバスで禮山のバスターミナルまで2時間だが、高速の事故渋滞で3時間もかかった。バスターミナルから任存城までは、市内バスで40~50分。バス停留場から任存城まで、山道を休み休みゆっくり登って40分。朝7時のバスでソウルを出発したが、城に着いた時にはお昼前になってしまった。

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鳳首山という標高483mの山の頂上を、2.4kmに渡って石築の城壁で囲んだ、鉢巻式山城である。百済のこのタイプの山城の中では最大規模である。上掲書では、一般的な百済の城に比べ、標高は高いし、規模も大きすぎるとしている。建物跡は20箇所ほども見付かっている。南門と北門跡が残っているとのことだが、北門跡は気付かずに通り過ぎてしまった。南門跡から城内に入ったが、独特な形の門だった。

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幅は2m程しかなく、大人二人が何とか並んで通れる程度だが、奥行きが10mほどもあって細長い。 この細長い門は、稜線からまっすぐ入りやすいところに位置しているが、多くの百済山城では接近が難しいところを選んで城門を設置しており、これも百済らしくない点として上掲書で指摘されている。城内にいくつか残る井戸跡中、一つを見つけた。綺麗な清水が滾々と湧き出ていた。この山、実に水が豊富で、あちこちに細流があってせせらぎを流れる水の音が絶えなかった。 水が豊富な山城らしく、排水口は南西に3箇所発見されているとのことだったが、一つも見つけられなかった。残念。城壁の少し高い位置に開口しているらしい。夏草に埋もれていたかもしれない。全体に、生い茂る雑草で城壁や遺構が覆われていて非常に見にくかった。やはり山城巡りは晩秋から初春までが良いと思った。
文化財庁HPの解説によれば百済の土器や瓦が見つかっているとのことだったが、それ以上の詳しい記載が無く、もしかしたら地表調査程度で、ちゃんとした発掘調査はまだ行われていないのかもしれない。本当はいつ作られた城だったのだろうか・・・。

それにしても、快晴の好天にも係わらず、他に登山客は1人しか出会わなかった。国家史跡90号に指定されて整備されているところなのだが、やはり皆さん、山城には関心無いようです。

2007年9月8日踏査

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▲運転手に言われたところでバスを降りると、横の一本道に向かってこの標識が見えた。

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▲左下のコースから登って行った。車なら途中の大蓮寺まで行ける。そこからは登山道で徒歩。このコースは南門につながる。

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▲バス停から40分かかって、やっと南門についた。ほとんど雑草に埋もれている。

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▲城門右袖がかろうじて露出しているくらい。

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▲細長い南門を城内側から見る。

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▲案内表示が倒れていた。左に向かえば井戸跡、右に向かえば北門のようだ。井戸跡に向かった。

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▲南門近くからの景色。

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▲南~南西の城壁はほとんど藪の中に埋もれてしまっていたが、一部城壁が見えるところもあった。

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▲不揃いな割石を、壁面だけ面を合わせ乱雑に積み上げているように見える。

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▲▼しばらく進むと、復元城壁区間が見えてくる。

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▲ピカピカの復元城壁が続く。

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▲よく観光写真などで紹介されている部分。なんだろうと思ったら、自然の岩が城壁から飛び出したような形になっていた。

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▲史跡解説板。この辺りの広場に井戸跡がある。

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▲井戸跡

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▲▼この数100m続く復元城壁区間の真ん中辺りに、元の城壁が崩れかかったままで残されている。明らかに復元城壁とは石の形も積み方も違うのが分かる。

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▲▼北側に回り込むあたりで復元城壁が無くなり、石塁が所々見られる。

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▲▼頂上のあたり。

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▲道なりに進んでピークを降りて行くうちにこの標識が。どうも北門は通り過ぎてしまったようだ。昼飯抜きで疲れて坂道を登って戻る気がせず、下山した。

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