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2008年9月23日 (火)

儀旺 慕洛山城(의왕모락산성)~これも漢城百済の初期山城?

ソウルから南に約20km、京畿道儀旺市の慕洛山城を訪ねる。
2002年、2005年に世宗大学博物館によって地表調査が行われ、4~5世紀の漢城百済期の土器が確認されたとのこと。ネットで調べたところ、城壁跡も一部残っている(下写真)ようなので、行ってみることにPhoto

ソウルの地下鉄4号線に乗って仁徳院駅下車。バスで5分ほど南下して、ロッテマートが見えてきたところで降り、そこから徒歩。

標高385mで小高く目立つ山である。登山ルートはいくつもあるが、ケウォン芸術大学後門近くの登山口から1時間のコースを取る。
片道一時間のコースはかなりしんどかったが、行ってみて分かったことがいくつか。

山城の案内図や表示は意外にもちゃんと立っていた。
儀旺市記念物第216号。山頂を地形に合わせて石築、または土石混築の城壁で囲んだ鉢巻式山城である。外周820m。
だが、山城のかなりの部分が韓国軍の基地になっていて、一般人立ち入り禁止であった。ネットで見た北側にあるという城壁も、登山客に聞きながら随分探し回ったが、見つけられなかった。残念。

もう一つ分かったのは、ここが朝鮮戦争の戦跡地であること。中国の人民解放軍がここに陣地を築いた。1951年1月30日から2月4日の間、国連軍が二度の攻撃で攻め落としたとの記念碑と解説板が立っていた。 2007_1006_092817aa_1024
「四日間の血戦で韓国軍1師団15連隊は中共軍663名を射殺し、90名の捕虜を獲得した。一方我が軍も戦死70名、負傷200余名の被害を受けた…」とのこと。激戦地だったようだ。

今は登山道がよく整備されていて誰でも登れるようになってはいるが、三国時代から朝鮮戦争まで、重い装備を背負って登るには相当厳しい、天然の要害だった筈である。

韓国に無数に残る古代山城中、ここのように1500年を経ても役割を終えることができず、軍の基地として現役なところがいくつもある。残念なことである。

2007年10月6日踏査

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▲近くまで来ると、どこからでもよく見える慕洛山。

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▲ケーウォン大学後門近くの登山道入り口。

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▲▼登山道に入ってしばらく行くと、登山案内図と、慕洛山城まで1.7kmの表示が。

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▲登山道はよく整備されている。登りがきついところには階段やロープが設置されており、迷うことも無いが、頂上まで一時間近くかかり、結構しんどい。

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▲登りきったところに広場のような地形が広がる。解説板で建物跡4と表示されている城の北東部にたどり着いたようである。

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▲城壁跡と思われる場所には、石材が地表に露出しているように見える。

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▲北城壁沿いに西に進むと”立ち入り禁止(軍事保護区域)”の表示と、フェンスや鉄条網に行く手を阻まれる。古代山城の城域が現代の軍施設となっている。

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▲慕洛山戦勝記念碑。ここは朝鮮戦争の史跡でもある。

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▲▼慕洛山城解説板。

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▲北側が250m、南側175mで、傾斜が急なところは自然地形を利用し、傾斜が緩いところに石築の城壁を築いているとのこと。石築の城壁が残るという北城壁を辿ろうとしたが、軍施設に阻まれて諦めた。しかし、後に知人に聞いたところでは、城壁はちゃんと見られる場所にあるとのこと。

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▲ウェブで拾った慕洛山城出土の土器写真。上記の解説板によれば、この城の地表調査で採集された土器は、すべて4~5世紀の漢城百済時代のものとのこと。百済に特徴的な三足土器、長卵形土器と共に、このような五角形の土器も採集された。これは韓国内では他に出土例が無いらしい。

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▲解説版がある辺りの休憩所。

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▲解説版近くから、東城壁を北に辿ってみる。

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▲行けども行けどもこんな感じ。

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▲自然地形の斜面なのか、土塁の城壁が崩れた跡なのか判別し難い。結局掘って見ないことには確認できないだろう。

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▲頂上は山城のすぐ北隣の峰の上になる。標高385m。

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▲山頂からの眺望は素晴らしく、登山客で賑わっていた。

儀旺市は、2009年までに発掘調査のための土地買収などを完了させ、2010年から2013年までに発掘調査を進めて国家史跡登録を目指す計画とのこと。ちょっと地表調査をしただけでこれだけ初期百済の土器が見つかっているのだから、発掘調査には大いに期待が膨らむ。

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コメント

!!地図の等高線からするに城壁側はものすごい勾配ですね。李氏以前の山城は、みんな基本的にこんなに凄い場所に造られているんですか?

結構急斜面に城壁を築く例が珍しくありません。城門も、かなりアプローチが難しいところにわざと作ったりとか、そんな感じが三国時代の山城に多いと思います。地形の変化もあるかもしれませんが、こんなところにどうして城壁組んだかなぁ?と思えるようなのもいっぱいあるんですよ。

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