寶文山城(보문산성)~ピカピカに復元された百済後期の山城
忠清南道と忠清北道の間、南寄りに位置する大田広域市。
百済と新羅の境界地帯だったことから、市内の山々に城跡が40箇所も見付かっている。山城の密集地帯だ。
百済と新羅の境界地帯だったことから、市内の山々に城跡が40箇所も見付かっている。山城の密集地帯だ。
最大規模の鶏足山城を訪ねて以来、再訪しようと思っていたが、やっと来ることができた。二箇所を回って来たが、まず一つ目が寶文山城だ。大田駅南方、遊園地+動物園がある場所の、裏山にある。標高406mの山頂に築いた石築の鉢巻式山城で、外周は僅かに300mほど。山城というより砦くらいの感じだ。周囲に散在する山城と連携して、全体で防御陣を築いていたのだろう。しかしありがたくないことに、「1991年に4億8千万ウォンをかけて、百済山城としては全国で始めて完全復元した」と記念碑に書かれている通り、しらじらしくもピカピカの山城だった
元の城壁も残っていた筈なのだが、ぜんぶ綺麗にしちゃったようである
入口は、北西門と南門の二箇所。南門は後代に塞がれていたのが、発掘調査で見付かり、復元されている。どちらの門も、門脇の両袖を丸く仕上げているが、百済後期山城の特徴のようである。
入口は、北西門と南門の二箇所。南門は後代に塞がれていたのが、発掘調査で見付かり、復元されている。どちらの門も、門脇の両袖を丸く仕上げているが、百済後期山城の特徴のようである。
発掘の結果、百済の遺物は当然ながら、城壁の下層から韓国の青銅器時代後期(BC300~100)の土器などが出てきたとのこと。標高400mの高地から出てくるのはかなり珍しい例らしい。
しかし古城の趣は無いものの、城からの眺望は文句無しに良かった。
この山も山城も、格好のハイキング場所になっていて、家族や友人、小学生のグループなどが弁当を広げていた。この景色を見ながら食べるごはんは格別だろうなぁ、と思いつつ下山。今度はルートを変えて、山腹にある高麗時代の磨崖仏坐像を見物したが、これはちょっとイマイチだった。
しかし古城の趣は無いものの、城からの眺望は文句無しに良かった。
この山も山城も、格好のハイキング場所になっていて、家族や友人、小学生のグループなどが弁当を広げていた。この景色を見ながら食べるごはんは格別だろうなぁ、と思いつつ下山。今度はルートを変えて、山腹にある高麗時代の磨崖仏坐像を見物したが、これはちょっとイマイチだった。
2007年10月27日踏査




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