寶文山城(보문산성)~ピカピカに復元された百済後期の山城
百済と新羅の境界地帯だったことから、市内の山々に城跡が40箇所も見付かっている。山城の密集地帯だ。
入口は、北西門と南門の二箇所。南門は後代に塞がれていたのが、発掘調査で見付かり、復元されている。どちらの門も、門脇の両袖を丸く仕上げているが、百済後期山城の特徴のようである。
しかし古城の趣は無いものの、城からの眺望は文句無しに良かった。
この山も山城も、格好のハイキング場所になっていて、家族や友人、小学生のグループなどが弁当を広げていた。この景色を見ながら食べるごはんは格別だろうなぁ、と思いつつ下山。今度はルートを変えて、山腹にある高麗時代の磨崖仏坐像を見物したが、これはちょっとイマイチだった。
▲寶文山公園案内図。山城は中央右上あたりの丸点線マーク部分にある。登山道があちこちに巡らされて、市民の憩いのハイキング場所になっている。
▲山城まで麓から30分以上かかる。ちょっとしんどいが、子供でも登れるように登山道はよく整備されている。西門に到着。
▲▼門脇の城壁が、丸く仕上げてある。百済後期の山城に見られる特徴とされる。
▲城内の高いところから見た西門。本来、この石築の上に門楼があった筈であるが、どんな形だったか分かりようもなく、流石にそこまでは復元してない。
▲▼城内から眺めた大田市内。
▲寶文山城復元碑。
▲寶文山城解説板。大田市指定記念物10号。
▲城内北側の最高所には、こんな物見台が作られている。形がこんな風だったかは知る由も無いが、瓦は出ているので、実際に瓦葺の建物が立っていた筈である。
▲城内は細長く、狭い。
▲ハイキング客でいっぱい。
▲▼城内から見た南門。後代に塞がれていたのを、発掘して再現した。
▲外から見た南門。西門同様、両袖が丸く仕上げられている。
▲こちらは、入り口をわざと高くした懸門である。
▲懸門の正面が少し土で盛り上げてあるが、実際はもっと段差を高くしてわざと入りにくくしてあった筈である。観光用に入りやすくする為にこうしたのかもしれない。
▲下山ルートを変えて、磨崖仏を見てきた。おじぎをするような形の岩の下に掘られている。
▲太田市有形文化財19号 磨崖如来坐像
▲高麗時代後期のものらしい。
▲彫りも浅く線刻みたいだし、お顔ももう一つ。

























遺構がすっかりと手をつけられたのは残念ですが、家族連れが安心して登れる歴史テーマパークとしてはなかなかやりましたね。しげさんの山城めぐり、ご家族と行く分にはいつも結構キケンな感じがしてたので。
仏像の彫刻は、なんか墓石屋さんぽいですね(笑)
こんな最近ぽいものが高麗時代の作とは驚きました。
投稿: 라지파파 | 2008年10月23日 (木) 23時09分
ここは本当に景色が良いんですよ。
あと、この山の近くにある遊園地が、サファリパーク隣接で結構楽しいです。子供連れの家族にちょうど良いスポットですよ。
この磨崖仏が高麗時代の作とのことですが、私も仏像とか詳しくないのでよく分からないです。
ただ、いろいろ見て回ってると、高麗時代の仏教遺物、主に石仏と石塔のことですが、その前の統一新羅時代と比べると、ものすごく様式が多様化して、技術も飛躍的に向上しているので、何でもアリみたいな感じに見えまして、そこが私には面白いです。
投稿: しげ@SEOUL | 2008年10月24日 (金) 06時45分