天安 黒城山城(흑성산성)~独立記念館の裏山にも古代山城
忠清南道天安市、独立記念館の裏山にある黒城山城(天安市文化財資料364号)は、黒城山(標高519m)の山頂を石築の城壁で囲んだ古城である。外周570m。李朝時代の記録にあるが、何時作られたものか不明である。城内にあたる山頂には米軍基地と放送塔があって一般人の立ち入りは禁止されている。最近、観光用にか、水原華城を模した城門や城壁が作られており、元の城壁はほとんど崩れてわずかに痕跡が残る程度らしい。
独立記念館の運動場を借りて会社の運動会が開かれたので、すぐ裏山だしと思い、このくらいの事前情報でとにかく行って見た。登山道はいくつもあるらしいが、独立記念館側から見て左側(おそらく西)から迂回するように登る「Bコース」というのを取った。このコースは”入山禁止”と看板に書いてあるのだが、登っても大丈夫とのネット情報を信じて、柵を越えて突入。 山城への案内表示は要所要所にあって、迷わず山頂近くにたどり着く。
山頂からの眺めは、最高の風水の明堂と言われる、独立記念館の敷地を後ろから一望に出来て中々爽快だった。
観光用(?)に作られたぴかぴかの城の、裏側に出た。裏からぐるりと回りこんでみたが、行き止まりのようだった。時間の関係でこの辺で終わりにして、下山しようとすると、来る時には気付かなかった、元の城壁の残存部が目に入った! 
観光用の城門は見られなかったが、こちらが本命なので、満足して下山。
思っていたよりもかなり遠く、独立記念館の運動場から往復二時間半近くかかってしまった。
ところで、この独立記念館の建設中に敷地内から発見された古代山城がある。木川土城と呼ばれた平山城だが、発掘調査で土塁の基礎に石列が並べられているのが発見され、日本の古代山城との関連が注目されている。しかし残念ながらこの広大な敷地のどこにあったものか、わからない。文化財の指定も受けていないので、記念館の建設と共に破壊されて残っていないだろうと思う。
天安市の観光地図を見ると、意外に山城がたくさんある。
新幹線(KTX)の駅も出来て、今はかなり大きな地方都市に急成長した天安市だが、このあたりは百済の領域だったところ。百済の土器が出ている山城や遺跡もいくつかあるので、また改めて山城めぐりに来たい場所である。
2007年10月13日踏査
▲独立記念館の運動場から見た黒城山。
▲頂上に電波塔と観光用の城郭が見える。
▲独立記念館から黒城山に向かう道。
▲やがて左手に”Bコース 黒城山頂上への道 1500M”の案内板。しかしその下に”入山禁止 独立記念館”の表示が。この道しかわからないので、ここから入って登って行った。
▲登山道は要所要所に案内表示が立っているのでまず迷うことは無い。
▲頂上近くの見晴らし場からの眺め。最高の風水の明堂に作ったと言われる独立記念館の敷地が中央に見える。
▲頂上のお城みたいな施設が見えてきた。
▲左手に回り込んで中に入れないか進んでみた。
▲城壁はかなり高く、先まで行っても中に入れず行き止まりだった。しかしこの城壁・・・。城の名前に合わせて、黒い石材を済州島あたりから運んで来たらしい。古代山城どころか李朝期の城壁にも似てない。
▲元に戻って、登山道から右手に回り込む。途中でこんな切り通しがあった。
▲右手から回り込んでもやはり同じで、どうもこちら側からは中に入れないようになっているようだ。
▲世界遺産の水原華城を模したような、煉瓦作り風の望楼。
▲数mの高い城壁で中を覗くことも出来なかった。しかし、中に米軍基地があるとのことでこの厳重な城壁なのか、それにしてはあまりに観光地らしいデザイン。巨大な城門も作ってあるらしいが、たぶんこの登山道Bコースの反対側にあるのだろう。
▲古代山城の痕跡などもう無いのだろうと思い、下山しようとしたら、この城壁跡が目に飛び込んできた!
▲ほとんど崩れているが、平たい割り石を積み上げた城壁跡が10数m、模擬城壁の下の斜面にわずかに残っていた。
▲いかにも古城風に見えるが、これだけは何時の物かは何とも・・・。たぶん発掘調査もやっていないだろうと思われる。
▲模擬城壁の下の急斜面をちょっと降りればこのような元の城壁が見える。
▲ここで見られた城壁はこの部分だけ。全周すれば、他にも痕跡が残ってる部分があるかもしれない。






















これはひどい疑似石垣ですね!!役人仕事だ。
中身は実は水道局の設備、とかのオチでないとせつないです。
投稿: 라지파파 | 2008年10月13日 (月) 01時01分
라지파파さん、
まぁ、これは分かり易すぎるくらいピカピカだし誰も古城だとは思わないでしょう。罪なのは、もっとそれっぽく作ってるんだけど、実は時代考証ゼロの復元です。そういうのがこれまで一番多かったです。
でも、三年山城なんかが世界遺産登録に失敗してからは、リアルな復元にこだわった例が少しずつですが増えてきました。メディアもそういう時代の趨勢を後押ししていて、これからはだんだんまともになって行くのでないかと期待してます。
でも、三国時代の古代山城だと、元の形が完全に残っている例も、残された資料もあまり無いので、そもそもリアルな復元ということ自体、ありえないんですけどね。
投稿: しげ@SEOUL | 2008年10月13日 (月) 09時07分