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2008年12月7日の1件の記事

2008年12月 7日 (日)

関門城(관문성)~日本の侵攻に備えた8世紀新羅の長城

慶州と蔚山の境にある関門城目指して、朝一番の電車に乗って慶州へ。
この関門城は、統一新羅初期の722年に日本の侵略に備えて築いた長城である。都である金城の南方20kmほどの地点に、東西12kmほどの城壁が所々残っている。新羅が築いた長城の内、今簡単に訪ねることができるのはここだけだ。
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慶州からは、国道7号線を南下する毛火里行き市内バスに約30分ほど乗って、終点で降りる。バスターミナル近くの線路に沿って南に数分歩くと、線路で分断された関門城の城壁が見えた。この線路と国道7号近くの城壁は近年復元整備されている。
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線路の西側でまた国道7号によって城壁が分断されているが、この辺りに城門があったらしい。
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▲国道7号で城壁が途切れている。慶尚南道と慶尚北道との境界点でもある。
この城壁を東にずっとたどって山を登って行くと、やはり統一新羅時代の山城、新垈里城が近くにある筈である。この新垈里城では銘文石が10個ほど見付かっており、ここを目指して関門城の跡を東に向かって行った。
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関門城は途中で痕跡を見失い(というか元々途中までしか無いらしいが)、その後、登山道が途絶えた山中を行きつ戻りつ2時間強。降参しましたがまん顔
方向音痴のくせにあまり下調べをしないでフラッと出かけてしまうので、幾度かこういう目に会っているあせあせ
後で聞いたところによると、やはり関門城からは新垈里城に行けないそうである。

722年というと日本はもう奈良時代。663年に白村江で新羅・唐に大敗してから60年ちかい。ちょうど太平洋戦争に負けた後の現代と同じくらい戦争の記憶が遠くなっていた頃だろう。学校で習った奈良時代の印象も、何となく平和な時代という感じだ。どうしてそんな頃に新羅は対日防衛の為に12kmもの長城を?と思ったが、ちょっと調べて見ると、とんでもない。
白村江以降の東アジアでは、唐・新羅戦争、渤海国の勃興、唐・渤海の戦争・・・と、緊張関係が継続していた。そんな中、日本も無関係ではなく、再び手を結んだ唐・新羅に対抗して、渤海と同盟を結び、両陣営の間で対立軸を形成していた。律令国家の徴兵制による軍団を完成・維持させ、渤海と結んで新羅征討計画を立て、756年には吉備真備が新羅征討の前哨基地としての怡土城を九州に築城している。
幸いにして戦争は起きなかったが、あと一歩の臨戦態勢にまで行っていたのではないだろうか。
2007年11月10日踏査

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