陰城 水精山城(수정산성)~三箇所の水口が復元された謎の城壁(?)
忠清北道陰城郡の水精山城を訪ねる。
韓国文化財庁のホームページで見た写真に、類例の少ない城壁外面の垂直溝のような微妙なものを見て、実物を確認してみようと思った。
標高396mの水精山の頂上に築いた石築の鉢巻式山城。外周は577mで、西側城壁の残存状態が良く、出土遺物から8~9世紀の統一新羅時代の城だろうとのことである。
陰城までは、東ソウル・バスターミナルから30分毎に直行バスが出ている。ソウルから1時間40分。水精山はバスターミナルのある中心街から東に2kmくらいのところにあって、地元の人たちの散歩コースのようで、場所はすぐに分かる。
行ってみてちょっとがっかりしたのは、西城壁がきれいに復元されていたこと。陰城郡記念物111号に指定されているが、よくこんな有名でもない城の復元に予算が付いたものだと思った。 この一年、あちこちの山城を回っているが、意外と山城の城壁を整備・復元する自治体が多いようだ。結構安く作れちゃうのかな??
~ネットで見つけたローカル新聞の「忠清毎日」2007年8月28日の記事によれば、陰城郡は水精山城に2002年から試掘調査と城壁補修を行って残存城壁の一次復元工事を完了させたのに続き、2007年に1億5千万ウォンを投入して城門跡の発掘調査を行うとのこと。また、2012年までには城の原型復元、探訪路の整備を行って歴史資料および観光資源として活用する計画とのことである。
しかし結局、見たかった垂直溝のような城壁は見つけられなかった。もしかして復元工事でつぶしちゃったのでは・・・。 最近になって1998年に刊行された水精山城の地表調査報告書(忠州産業大學校博物館刊)を図書館で見つけて残存城壁の写真を見たが、そんな垂直溝のある城壁はやはり無いし、報告書でも指摘されていない。文化財庁HPの写真は他の山城を誤って掲載したのだろうか??
さてこの復元城壁、水口が3個もそれっぽく復元してあった。城内の取水口もちゃんと石築で作ってあって、外まで水路を貫通させてあるようだ。水口は3個が、ほぼ等間隔で15mくらい(?)おきに並んでいる。城壁基底部からの高さはそれぞれ違う。城壁に向かって左端のは肩くらいの高さ、真ん中は2m以上、右端のは真ん中より少し低い。
▲右端の三つ目の水口と、その下の水受け石(草に埋もれている)
水口の真下には、水受けの石が並べてあり、その延長線上の急斜面には、階段状に石が積んである。これは他では見たことが無い。かなり念入りな水対策だ。 上掲の1998年の地表調査ではこういった排水施設は見付かっていないが、2002年の試掘調査で発見されたものかもしれない。あてずっぽで作ったにしては良く出来過ぎのようだし。
李朝時代の記録では、当時既に廃城となっていた城内に井戸が一つ残っていたとのことだが、現存しない。3つの排水口や念入りな水対策から見て、山頂ながら水が豊富だったのだろうか??
そういえば山の名前も水にちなんでいる。この日はたまたまか、ずっと濃い朝霧がたち込めていて、全山真っ白で視界が狭く、確かに水っぽかったかな?
2007年11月25日踏査
最近のコメント