カテゴリー「日本の古代山城」の2件の記事

2007年8月26日 (日)

屋島城(Yashima No Ki)~香川県に残る古代山城

夏休みに訪ねた妻の実家から少し足を延ばして小旅行。香川県屋島を訪ねる。源平合戦の史跡として有名だが、667年に古代山城屋島城を築いたことが日本書紀に記載されている場所だ。
663年に百済復興をかけて朝鮮に出兵し、唐・新羅連合軍に大敗した後、亡命百済人の技術を借りて西日本各地に作った防衛拠点のひとつだ。

屋島は外から見ると切り立った絶壁のような山(元は島だったが江戸時代に干拓で陸続きになった)だが、山頂は平坦地が広いのに驚かされた。ホテルなどの観光施設や水族館まである。

僅かに知られていた一部の石塁以外は明確な城の遺構が確認されていなかったが、近年、郷土史家の努力で他の遺構も発見され、2001年には城門跡が発掘されて、やっと屋島城と比定されたようである。

城門跡はまだ発掘調査中で案内板も無く探すのが難しいが、屋島山上にはボランティアの観光案内の方が何名もいて、連れて行っていただくことができた。
城門は思ったよりも大きく、城壁の高さは高いところで5mほどもある。大部分に青いビニールシートがかぶせられているが、城門が3段の石段のようになっているのがシートの上からも分かった。石垣の石は不定形で積み方も荒い。石垣を一見した印象だが、私がこれまで韓国で見て回った京畿道、忠清道近辺に残る古代山城にはあまり似ていない。対馬の金田城の城壁にずっと近い気がする。韓国南部の全羅道や慶尚道の山城はどうだろうか。

解説書にあった貯水池跡らしき低湿地は確認できたが、水門跡は確認することができなかった。工事中のおじさんの話では、市が谷筋を随分発掘していたが、今のところ水門のような遺構は見付かっていないはずとのこと。 この先、まだ何か出てきそうな気がする。

2007年8月4日踏査

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2007年5月 5日 (土)

イントロダクション~対馬 金田城

始まりは、学生時代に旅行した、対馬で巡り合った金田城。山中に、古色蒼然として半ば崩れた石垣の城壁や城門址、門柱の穴の開いた礎石などが残っていた。7世紀の朝鮮式山城だという。百済の滅亡に際して天智天皇は朝鮮に援軍を出したが、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗退。唐・新羅の報復に備え、亡命百済人の技術で西日本各地に山城を作ったという。これらを朝鮮式山城と呼んだりするが、その元祖の山城がどんなものだったのか、長年疑問に思っていた。

さて、それからxx年。韓国で暮らすようになったのを機会に、本家本元の古代朝鮮の山城がどんなものだったのか、知りたくなり、訪ねてみようと思った。

2007年6月10日追記;

▼実家に立ち寄ったついでに、対馬の写真を引っ張り出してきた。

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▲レンタカーで島中走り回っているうち、偶然ここにたどり着いた。城山の入り口。

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▲金田城はこちら、と矢印のある方向はこの写真の通り、誰も訪ねないせいだろう、草が鬱蒼と茂って道なき道となっていた。心配しつつ、草を掻き分けて進んで行くと、

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▲まるでジャングルのような山中の森の奥に、このような立派な石垣や門の跡にたどり着いた。マヤかインカの遺跡に来ているような錯覚に陥った。

この城門の形は、今改めて見てみると、新羅の城によく見られる懸門式の城門に見えないことも無い。城壁の石はまるで不定形で、ほぼ同時代と思われる百済や新羅の城の、よく整えた切石とは違う。積み方も朝鮮半島のものより荒っぽい感じがする。石材が加工しにくいものなのか、技術の差によるものなのか分からない。

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▲門址に下りて見ると、門柱の礎石を発見した。ここにどんな城門が構えられていたのか想像するだけでワクワクした。

1990年3月15日踏査

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