カテゴリー「江華島の史跡」の3件の記事

2008年1月 2日 (水)

江華島北部の史跡~江華聖堂、江華山城、高麗宮址

江華島南部で三郎城などを見た帰りに北上して、島の北部を少し見物してから帰ることにした。 帰る前に数時間駆け足で見て回ったが、予想してなかったようなものもあり、短い時間になかなか面白かった。もとよりまだ見ていないものも多いので、いずれ再訪したい。

▼まずは高麗宮址。写真の通り、今はほとんど何も残らない。
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高麗朝時、元の侵略に抗戦してここに開城から1232年に遷都し、何と1270年までの39年間ここを都として持ちこたえた。元が高麗を従えて元寇に来たのが1274年である。高麗の抗戦が無ければ、元寇の時期はもっと早まっていただろうし、そうであれば鎌倉幕府が持ち堪えられたかどうか、神風は吹いたかどうか。
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▲次は江華山城の北門。
高麗時代の城郭は、もとの開城と同様に、内城・中城・外城と三重の城壁を築いたとのこと。そのうち、内城にあたる全長約7kmを李朝時代に土城から石城に改築し、内部に離宮を作ったのが今残る江華山城である。地図で見るとおり、南と北の二つの山を城壁で繋いだもので、その中間は平地になっており、そこが今も市の中心街になっていた。
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高麗の時にはこの城が落城する前に元に降伏したので城自体は無事だったようだが、李朝時代1637年に、清から攻撃され、時の守将は城を守りきれず、南門に火薬を仕掛けて爆死するという悲惨な最期だったらしい。この将、金尚容を顕彰する殉節碑が城内にあった。

 
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▲最後の写真はその殉節碑の近くに残る、聖公会江華聖堂。
1900年に建てられたカトリックの聖堂である。どういう経緯でここに建てられたのか背景がよく分からないが、大変興味深い建築だ。土台は日本の城を思わせるような2mほどの高い石垣が組んであり、その上に李朝建築と洋風の折衷様式のような、不思議な建物が建っている。本殿(?)は7.2mx18mの長方形で、李朝建築では少ない二階建てだ。この長方形の珍しい建物は、方舟をイメージしたデザインらしい。各層に窓ガラスが多用されていて、瓦、屋根、門などにあちこちに十字架の意匠が見られる。他にあまり例が無いのではと思う。

ちょっと歩き回っただけでこれだけ面白いものがごろごろしており、市内では発掘調査中のところもあって、これからもいろいろ出てきそうである。

2007年2月17日踏査

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2007年12月22日 (土)

江華島 三郎城(삼랑성)

三郎城は、江華島の南に位置する標高222mの山頂を2kmに渡って石築の城壁で囲んだ山城である。いつ築城されたものか分かっていない。高麗時代の史書によれば、建国の神である檀君が三人の息子に築城させたので、それにちなんで三郎城と呼ばれているそうである。当初は土築で後に石築になったらしい。李氏朝鮮末まで改築・修築を繰り返して使用されてきたためか、城壁の石の積み方は場所によってまちまちな印象がある。三国時代に最初に築城されたのではないかとの説があるがはっきりしない。
城内には高麗時代の仮宮の跡、やはり高麗時代の寺である伝燈寺、李朝時代の王家の史書や族譜を保管する史庫があった。

写真の南門楼閣は、李朝時代の城門を1976年に復元したものだが、ここで1866年にフランス軍との攻防が繰り広げられ、朝鮮軍が勝ってしまった。勝ってしまった、というのは、ここで薩摩や長州のように負けていれば、もっと早く欧米列強の近代化の力に気付いたのではないかということ。1500年以上も築き続け、朝鮮全土に2000箇所も残ると言われる山城。その長い歴史の最後の最後に、外敵を撃退するのに大きな役割を果たしたようだ。しかし、その結果が、近代化に遅れを取った一因になったとしたら皮肉なものである。

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2007年2月16日踏査

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2007年10月 3日 (水)

塹星壇(참성단)~檀君神話の聖地

これを書いている今日は、韓国の数少ない祝日の一つ、開天節である。檀君神話に基づいた、古朝鮮の建国を祝う日だ。この日には檀君が祭天の儀式を行ったという伝説が残る、普段は立ち入り禁止の塹星壇と呼ばれる祭壇が解放される。

この塹星壇は江華島の南部、標高468mの摩尼山の頂上にある。檀君が天を祭るために作ったとの伝説だが、いつ作られたものか明らかでない。史書に残る一番古い記録は李朝初期らしい。恐らく高麗時代に作ったものであろうか。記録上では、醮祭という、道教式の星に関する祭祀を高麗、李王朝が行っていたようである。

岩山のてっぺんに石築で作られているが、下段部は楕円形に、上段部は方形をなしている。円形は天を表し、方形は地を表すとのことだが、こんな様式の祭壇は他で見たことが無い。誰がどういう思想でこういう構造物を山頂に築いたのか、当初はどういう祭祀がここで行われていたのか、非常に興味深い。

遺跡保存のために1月1日の初日の出と開天節の10月3日以外は立ち入り禁止になっており、柵の外から見るしかない。
しかし離れて見ても、古色蒼然として何だか妖しいオーラがむんむんしている気がした。霊気溢れるこの場所は、檀君を信仰する人たちの聖地であり、韓国で一番の強い気が集まるスポットだそうである。

2007年2月16日踏査

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